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  2017年10月19日から11月2日までの15日間、バルカン半島のルーマニア、ブルガリア、コソボ、マケドニア、アルバニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアの8ヶ国を巡りました。旧社会主義国の暗いイメージがありましたが、見所も多く、歴史と自然の両面から盛りだくさんの観光をすることができました。特に、10月下旬に訪れたため、黄葉がとてもきれいで、ヨーロッパの秋を楽しむことができました。貧しい国々と聞いていましたが、さすがヨーロッパであり、街はきれいで、他のヨーロッパの国とよく似た建物も多く、見かけ上は貧しさを感じませんでした。ただ、失業率は高く、給料は低く、生活の厳しさを現地の方から聞きました。
 旧ユーゴスラビアの国々は、最近まで紛争があり、安全であるか不安でしたが、夜も歩くことができるほど、治安に心配はありませんでした。ただ、歴史上、この地域は、いろいろな国の支配、侵略を受け、多様な民族、宗教が混在しています。そのため、国境を一つの民族で区切ることは不可能で、紛争は収まっているとは言え、仲がいい状態ではありません。紛争時の銃弾や空爆の跡が、街の中の所々に残っており、銃痕のあるアパートに住んでいる人がいる状態を見ると、心が痛くなりました。
  今回の旅行は、バスでの移動時間が長く、毎日5~8時間のバス移動があり、一般道路を走行することが多く大変でしたが、バスからの景色がよく、写真撮影をするなど、飽きることのない風景を楽しむことができました。
国 名  地 名  観   光  泊 
10/19 日本
ドイツ
ルーマニア
中部国際空港
フランクフルト
ブカレスト 
 中部国際空港よりルフトハンザ航空にてフランクフルトへ(約12時間15分)
フランクフルトよりルフトハンザ航空にてブカレストへ(約2時間15分)
ブカレスト 
10/20 ルーマニア  ブラン
シナイア 
ブラン城見学
ペレシュ城見学 
ブカレスト
10/21 ルーマニア
ブルガリア 
ブカレスト
ヴェリコ・タルノヴォ 
ブカレスト市内観光
ヴェリコ・タルノヴォ散策 
ヴェリコ・タルノヴォ 
10/22 ブルガリア  リラ
ソフィア 
リラの僧院見学
ソフィア市内観光 
ソフィア 
10/23 コソボ  グラチャニッチャ
プリシュティナ 
グラチャニッチャ修道院
プリシュティナ市内観光 
プリシュティナ 
10/24 コソボ
マケドニア 
プリズレン
スコピエ 
プリズレン散策、レヴィシケの生神女教会見学
スコピエ市内観光 
スコピエ 
10/25 マケドニア  オフリド  オフリド市内観光、サミュエル要塞見学  オフリド 
10/26 アルバニア  ベラート  ベラート城、千の窓の街見学 ティラナ 
10/27 アルバニア
モンテネグロ 
ティラナ
ポトゴリッツァ 
ティラナ市内観光
ポトゴリッツァ散策 
ポトゴリッツァ 
10/28 モンテネグロ
ボスニア・ヘルツェゴビナ 
ブドヴァ、コトル
モスタル 
ブドヴァ見学、コトル見学
モスタル散策 
モスタル 
10/29 ボスニア・ヘルツェゴビナ  モスタル
サラエボ 
モスタル市内観光
サラエボ市内観光 
サラエボ 
10/30 ボスニア・ヘルツェゴビナ
セルビア 
ヴィシェグラード
ベオグラード 
ヴィシェグラード市内観光
 
ベオグラード 
10/31 セルビア  ノヴィサド
ベオグラード 
ノヴィサド観光
ベオグラード市内観光 
ベオグラード 
11/1 セルビア
ドイツ 
ベオグラード
フランクフルト 
ベオグラードよりルフトハンザ航空にてフランクフルトへ
フランクフルトよりルフトハンザ航空にて中部国際空港へ 
機内泊 
11/2 日本  中部国際空港  中部国際空港到着   

<旧ユーゴスラビア>

今回は、紛争の多かった旧ユーゴスラビアの国々の現状を見ることも目的の一つでした。
かつてユーゴスラビアは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と表現さていました。

7つの国境」とはイタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア。
6つの共和国」スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ。
5つの民族」とはセルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人。
4つの言語」とはセルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語
3つの宗教」とはカトリック、正教、イスラム教。
2つの文字」はラテン文字(アルファベット)とキリル文字(ロシア語にも使われている文字)のこと。
そして「1つの国家」とはユーゴスラビアを意味します。

旧ユーゴスラビアは、このように様々な宗教、民族、言語、文化が入り混じる多種多様な国家でした。第2次世界大戦後、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国として、チトー大統領の強力な指導力で連邦が維持されていました。
1980年にチトーが死去、1991年ソ連邦が崩壊した前後から政情の不安定性が増し、ユーゴスラビア紛争が始まりました。そして、スロベニア、クロアチア、マケドニアが1991年に独立、ボスニア・ヘルツェゴビナが1992年に独立、モンテネグロが2006年に独立、コソボが2008年に形式上は独立し、7ヶ国に分かれました。(セルビアはコソボの独立をみとめていません。)
  今回、訪問してユーゴスラビア紛争の状況や現地の人々の話を聞くと、民族や宗教の違いの対立は根深く、歴史上の被害者であることを痛感しました。