マケドニアその1

  マケドニアは、 旧ユーゴスラビア連邦の東南に位置していた共和国で、1991年独立した人口200万人あまりの小国です。主要民族のスラヴ系は、人口の70%弱にとどまり、そのほか25%を占めるアルバニア人や少数のトルコ人も住んでおり、小国ながらも民族構成は複雑です。宗教的には、マケドニア人は東方正教系のマケドニア正教徒、アルバニア人とトルコ人のほとんどがイスラム教徒です。 歴史や民族構成の複雑さは、隣国と軋轢を生まずにはすまされません。そもそもマケドニアとはマケドニア共和国に加え、ギリシアの内陸部とブルガリアの西部を含んだ広範な地域名であり、古代アレクサンドロス大王の帝国を連想させることから、国名にマケドニアという名称を使っていることに対し、ギリシアなど他国が強い嫌悪感を示しています。


【スコピエ】

スコピエはマケドニアの首都で、ノーベル平和賞受賞者のマザーテレサが18歳まで住んでいたことで有名です。モスクなどオスマン帝国時代の建物と近代ビルが同居し、町並みの中に教会やイスラム寺院もあり、他民族国家ということが垣間見えます。マケドニアは観光に力を入れていて、スコピエでも観光振興のプロジェクトが進められています。その一環として街のいたるところに大きな銅像が建てられています。

<スコピエ城塞跡>

スコピエ城塞は、11世紀頃に建造されたもので、城壁は丘を囲むように作られています。眺めが素晴らしく、スコピエ市街が360°見渡せます。 
 
 
    
 
    
 
<ムスタファ・パシナ・ジャーミヤ>
ムスタファ・パシナ・ジャーミヤは、オスマン帝国に支配されて間もない15世紀末に、セリム1世に仕えた宰相ムスタファ=パシャにより建造されたモスクです。外観は曲線を利用した壁面やドームがとても美しく、マケドニアで最も美しいイスラム建築と言われています。 
    
 
     

<スコピエの街>
 
 
マケドニア広場です。中央に「馬上で剱を突き上げるアレキサンダー大王」の巨大像があります。 
     
     ピリッポス二世像 
    
 
    考古学博物館 
    
 
旧市街と新市街を結ぶ石橋は、オスマン・トルコ時代の15世紀に作られた重厚なものです。 
   
像がたくさんありました。   
   
旧市街のオールドバザールを歩きました。  
   
  国旗がいたる所に掲げられています。 
    
 
隊商宿がありました。 
   
ダウト・パシャ浴場跡がありました。15世紀のハマムです。    
    
 
<マザーテレサ記念館>
スコピエは、マザーテレサが生まれた地です。マザーテレサ記念館は2009年、マザーテレサが洗礼を受けたカトリック教会の跡地に建てられました。 
    
 
    
 
<スコピエ博物館>
 1963年に起きた大地震で半壊した旧鉄道駅を利用して作られた博物館です。スコピエから発掘されたコインや装身具、彫刻とともに、1,000人以上が亡くなったという大地震に関する資料などが展示されています。
   
  地震が起きた時刻5:17で止まった時計 

<スコピエからオフリドへの移動>
マケドニアの首都スコピエからオフリドまで約178kmを3時間半程かかりましたが、途中雪のかぶった山々を見たり、黄葉の里山を見たり、変化に富んだ景色を楽しみました。 
   
   
 
   
休憩した所は標高が高くとても寒かったです。    
(2017.10.24撮影)