コソボその1

  コソボはかつてユーゴスラビアのセルビアの自治州の一つでしたが、約90%がアルバニア人ということもあり、コソボ紛争を経て、2008年にコソボ共和国として独立しました。しかし、まだセルビア領のコソボ・メトヒヤ自治州として認めている国もあり、独立を認めていない国があるのも事実です。
 岐阜県ほどの大きさで、周りを様々な国々に取り囲まれています。 コソボに暮らす大多数の人々はアルバニア人です。コソボは人口の75%が35歳以下という若者国家で、失業率は35%という高さです。
  コソボ紛争のイメージが強いですが、最近では復興も進み、少しずつこの国の豊かな文化遺産と自然に注目が集まりつつあります。過去、ローマ帝国、ビザンチン帝国、ブルガリア、中世セルビア王国、オスマントルコ帝国の一部となり、多様な文化・歴史が積み重なってきたおかげで、コソボは民族的・宗教的な遺産の宝庫です。 


<グラチャニツァ修道院>

  世界遺産のグラチャニツァ修道院は、プリシュティナから5km離れたグラチャニツァ村に1310年に建造されました。14世紀と15世紀の間、数多くの修道僧が暮らし、非常に神聖で芸術的な活動を発展させました。そのフレスコ画は独特のモニュメンタルスタイルで描かれています。この修道院は後期ビザンチン建築の最高作品のひとつでもあります。
 コソボは中世セルビア王国の中核であり、世界遺産に登録されているコソボ中世建造物群の4つの修道院や教会は美しい建造物とともに中世の優れたフラスコ画が有名です。
 
 
    
 
内部はフレスコ画が見事でしたが、撮影禁止でした。   
   
 
   
   

【プリシュティナ】
プリシュティナはコソボの首都です。バルカン半島の交通の要所にあり、東ローマ帝国時代の6世紀には交易都市として発展しました。12世紀から15世紀にかけてはセルビア王国、15世紀末にはオスマン帝国の支配下に置かれました。コソボ紛争が起きた1999年にはプリシュティナは戦場と化し、街は大きな被害を受けました。新生国家の首都として、エネルギーがみなぎるプリシュティナ セルビアと結びつけられることが多いのですが、プリシュティナにも若者があふれています。
   
   
   
    
 
独立を記念した「NEWBORN」のモニュメント    
   
   
   
    
 
  コソボ独立の立役者と言われるクリントンアメリカ元大統領の銅像

<ブルガリアからコソボへ>

ブルガリアの次はコソボに行きました。ブルガリアからコソボに行くには、セルビア経由が早いのですが、セルビアがコソボを認めていないため、通過できません。そのため、マケドニアにいったん入国し、その後、コソボに入国しました。この日は、出国、入国を2回ずつ行ったため大変でした。 
 
 
    
 
黄葉がとてもきれいでした。  
     
国境を通過します。   コソボに入るとなぜかアルバニアの国旗が 
(2017.10.23撮影)