ボスニア・ヘルツェゴビナその2

【モスタル】

ネレトヴァ川の渓谷沿いの古都モスタルは、15~16世紀にはオスマン帝国の国境の町として栄え、19~20世紀のオーストリア・ハンガリー帝国時代にも発展しました。オスマン朝のイスラム文化が色濃く残るこのエリアは、橋のかかるこの川を挟んで東側がムスリム人、西側がクロアチア人と住み分けられています。2つの文化が融合したモスタルは、独特のオリエンタルな雰囲気が魅力です。旧市街に点在する土産物店を歩くと、トルコでよく見かけるようなデザインの陶器がズラリならんでいます。


<スターリ・モスト>

スターリ・モストは、16世紀のオスマン帝国時代につくられたアーチ型の橋で、橋脚を持たないシングル・スパン・アーチとしては現存する世界最古のものとされています。橋の西側にはクロアチア系(カトリック教徒)住民が、東側にはボシュニャク系(ムスリム)の住民が生活をしており、長い間橋を行き来し平和に共存をしてきました。しかし、1991年に勃発した紛争では、領土内に住むクロアチア系住民、ボシュニャク系住民、セルビア系住民により血を血で洗う抗争が繰り広げられました。民族が入り混じるこの町は泥沼の戦いに巻き込まれ、多くの住人が命を落し、両民族の平和を見守り続けてきたスターリ・モストも爆破されました。戦後、世界各国から寄付を募り、当時の技法にしたがって2004年に再建され、町ももとの平和で美しい姿を取り戻しました。
 
 
     
紛争が起きた93年を忘れないように作られたモニュメント   
 
 
   
 
 
 
ネトレヴァ川のほとりに建っているモスクはコスキ・メフメット・パシャです。   
    
 
ホテルから見たモスタルの風景です。   

<モスタル旧市街古橋地区>
スタリ・モストの両側に広がるエリアが、世界遺産の「モスタル旧市街の古橋地区」です。橋を挟んだ2つの街には、クロアチアやセルビア、そしてトルコやイスラムの文化が交錯していて、独特の雰囲気を醸し出しています。 
   
店が建ち並び賑わっていました。  
   
     
   はちみつがたくさん売っていました。  
<紛争の傷跡>
 
 
街の中の建物には銃弾の跡が残っているところがありました。  
    
 

<夜のモスタル旧市街>

 
 
夜のスターリ・モストもライトアップされとてもきれいでした。   
   
ネレトヴァ川沿いに飛び出すように建てられている「トルコの家」は17世紀頃に建てられたオスマン朝時代の伝統家屋です。 
    
 
    
 
夜も賑わっていて、若者たちが楽しんでいました。紛争があった場所とは思えませんでした。  
   
 
1557年に建てられたカラジョズ・ベゴヴァ・ジャミーヤ    

<モンテネグロのコトルからモスタルへの移動途中の風景>
   
モンテネグロから国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナに入りました。  
   
ボスニア・ヘルツェゴビナに入国しましたが、ここはスルプスカ共和国です。セルビア人の三色旗が掲げられていました。 
(2017.10.28、29撮影)