アルバニアその1

  アルバニア共和国は、人口約290万人、四国の1.5倍ほどの大きさで、アドリア海に面し、イタリアとギリシャの間くらいに位置する共和制の国家です。
  アルバニア人は、8世紀にスラヴ民族がバルカン半島に移住してくる以前にこの地に広く住んでいたイリュリア人の末裔といわれています。彼らはいくつもの部族に分かれ、統一国家も持たなかったため、ローマ帝国、ビザンツ帝国、ブルガリア帝国、セルビア帝国、オスマン朝、と歴史を通じて大国の支配を受け続けてきました。20世紀の前半には独立を達成したものの、ムッソリーニのイタリア、そしてナチス・ドイツの占領されました。 第2次世界大戦後はエンヴェル・ホジャ率いる共産主義国としての歩みを始めましたが、共産主義理論の見解の相違から、それまでの援助国とことごとくたもとを分かち、ついには鎖国政策をとるにいたりました。1990年には、市場経済を導入し、共産党の一党独裁時代も終わりましたが、急激な経済の自由化の波に国民はついていけず、1997年のネズミ講事件により、経済が破綻、国中が大混乱に陥いりました。 混乱から20年が経過した現在、経済は順調に成長し、旅行者もそれに従って増えてきました。インフラはまだ十分整っているとはいえないものの、ローマ時代の遺跡や、美しい自然は訪れる人を惹きつけます。

【ティラナ】

ティラナは、古くは古代ローマやオスマン・トルコの支配下で交易の拠点となっていました。アルバニア独立後の1925年に恒久的な首都と定められました。ティラナが都市として大きく発展するのはこれ以降のことです。オーストリアの建築家らによる都市計画のもと、整備が進められてきました。 
スカンデルベク広場は、ティラナの中央広場です。スカンデルベクは、15世紀にオスマン帝国に抵抗して、一時的にアルバニアの独立を成し遂げた英雄です。ティラナの人々からも親しまれている存在で、広場には馬に乗ったスカンデルベク像とアルバニア国旗がはためいています。 
    
 
国立歴史博物館…館内は撮影禁止でしたが、他国に占領されるなどで苦しんだアルバニアの歴史がよくわかりました。  ジャミーア・エトヘム・ベウト(モスク) 
    
 
市庁舎  時計塔 
     
オペラハウス  トーチカの模型がありました。   
    
 
   
ティラナのピラミッド…独裁者ホッジャの記念館だった建物です。  国立美術館です。前に日本人制作のアートがありました。
   
    
 
街は若者が多く、賑わっていました。  マザーテレサの父母はアルバニア人です。 

<マケドニアからアルバニアへの移動>
オフリド湖は4分の3がマケドニア領、4分の1がアルバニア領なので、オフリド湖畔で国境越えになります。 
   
国境を越えます。  アルバニア国内に入りました。 
    
 
 アルバニア国内に入ると、トーチカが見うけられました。トーチカ1946年に共産主義政権を樹立したエンヴェル・ホッジャの政策によって1976年から国内全土に75万ものコンクリート製の防御陣地のトーチカが建設され、現在も30万個以上が点在してるといわれまています。
   
   
   
    
 
七面鳥の群れがいました。  
   
墓地  オリーブ畑   
   
  アルバニアのアパート 

<アルバニアからモンテネグロへの移動>
    
 
道端で果物などを売っていました。   
   
 
   
所々に城塞がありました。 
    
 
  野外の喫茶でくつろぐ姿をよく見ました。
(2017.10.27撮影)