コソボその2

【プリズレン】

コソボ南部最大の都市であるプリズレンは、かつてオスマン朝の支配下におかれた時代もあり、オスマン朝時代の古い建物が残る美しい都市です。プリズレンの起源は深くローマ時代にはセランダと呼ばれておりました。プリズレンの住民はイスラム教徒が大半であるために、市内にはいたることろにイスラム教寺院(モスク)があります。しかし、過去にローマ帝国やセルビア王国、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ユーゴスラビアといったざまざまな勢力に支配されてきた歴史から、異文化や異民族が混在する町で、モスク以外にもカトリックやセルビア正教の教会も多数あります。 
 
 
丘の上にはプリズレン城塞が見えます。   
    
 
町の中央に流れるルンバルディ川とオスマン帝国時代の16世紀にかけられた石橋  
    
 
プリズレン城塞   丘の中腹にはセルビア正教会があります。  
   
オスマン帝国時代に建てられたモスクであるスィナン・パジャ・ジャミーア  
    
 
聖ニコラス教会  聖ゲオルゲ教会 
     
土産物店も数多く並んでいます。   
     
パルチザンの銅像  時計塔と考古学博物館  鍵がいっぱいの愛の橋 

<レヴィシケの生神女教会>

世界遺産であるレヴィシケの生神女教会は12世紀にシュテファン王によって建てられたセルビア正教の大聖堂で、オスマン帝国支配下の18世紀にモスクに転用されましたが、20世紀初頭にセルビア正教の教会に戻されました。コソボ紛争後破壊され、現在まで修復されていないため、内部を見ることはできません。危機遺産になっています。 
 
 
   
<コソボの首都プリシュティナからプリズレンへの移動>
   
雪が降っていました。  ガイドせんのコソボ説明を聞きました。 

<コソボのプリズレンからマケドニアの首都スコピエへの移動>
コソボから国境を越えて マケドニアに移動しました。黄葉と雪景色を楽しみながらのバス移動でした。
 
 
   
 
(2017.10.24撮影)