園原の里

  園原の里は、都と東国を結ぶ最古の街道、東山道が通った土地です。東山道最大の難所でもありました。街道の難所、神坂峠を越えた人々にその眺望を愛され、多くの和歌や物語の舞台になった山深い里です。遙か万葉の時代から歌に詠まれ、源氏物語にも名をとどめています。   
紅葉と網掛山のコラボレーションの絶景を見ることができました。

【東山道】
7世紀、大和朝廷は地方を支配するためため、都と地方を結ぶ大きな道を7つ作りました。山陰道・山陽道・西海道・南海道・北陸道・東海道、そして東山道です。東山道は大和政権が東国を従属させるための「支配・軍事の道」、東国の税物を背負って都へ納めに歩いた「納税の道」でした。 
    
 
園原は神坂峠を越えておりてきた最初の里です。古代・中世にかけて都人に親しまれ、県歌「信濃の国」にも"たずねまほしき園原や"とうたわれる地です。道すじには「万葉集」「凌雲集」の歌碑や樹齢二千年を越える日本杉のある神坂神社、源氏物語のテーマとなった箒木、春見事な花をつける駒つなぎの桜などの名所旧跡があり、歴史遺産の宝庫です。 

【姿見の池】
姿見の池は、伝説「炭焼き吉次」に登場する池です。園原の炭焼き吉次のもとへと嫁いだ客女姫がこの池に姿を映してお化粧をしたことから姿見の池と呼ばれるようになったと言われています。 
    
 
    
 
駒つなぎの桜 
駒つなぎの桜 (義経駒繋ぎの桜)は、 源義経 が奥州に下る際に馬をつないだ伝説を持つ一本桜です。.  


【朝日松】

伝説「炭焼き吉次」において吉次が朝日松の根元付近に金鶏を埋めたと言い伝えられています。
    

【暮白の滝】

暮白の滝は、園原川の支流の谷にある落差約15mの滝です。夕暮れに滝がほの白く見えることから「暮白の滝」とよばれるようになりました。滝見台の上から願いを込めて皿を投げると望みが叶うと言われています。 
    
 
南アルプスや網掛山が遠望できるビューポイントでもあります。 
    
 

【神坂神社】
神坂神社は東山道の難所神坂峠の信濃側、麓の山里園原にあります。旅人は旅の安全を祈願して、参拝しました。祭神は、海神の表筒男命、中筒男命、底筒男命の住吉三神(航海安全)です。なぜ深い山にある神社に海神が祀られているのかは、不明です。
齢2000年を超すとも言われる御神木の日本杉や、栃の木の巨木が数本あり、古代東山道の雰囲気を残しています。 
 
社殿の左右に巨大な神木の杉の大木がありましたが、左側の一本は明治25年の暴風にて、吹き折られました。年輪2000年以上と言われています。右側は現存しています。
   
 

【信濃比叡広拯院】

天台宗の開祖伝教大師最澄上人が、東山道最大の難所と言われていた神坂峠を超える旅人の苦難を見かねて、無料の宿泊所・広拯院を建てたのが始まりと言われています。このことから、比叡山ととても縁が深い場所として知られ、信濃比叡とも言われています。 
 
如来堂(納骨堂)
 
山門   根本中堂(本堂)
根本中堂は、延暦寺の根本中堂と同じく「薬師瑠璃光如来」を本尊としています。  
   
伝教大師最澄像  鐘堂 
 
月見堂(廣拯院)   
最澄が旅人を救う為に建立した廣拯院(布施屋・無料宿泊所)の跡地です。かつて文人たちがこの場所で仲秋の名月を賞したことから通称「月見堂」と呼ばれるようになりました。 

【信濃比叡門前屋】

信濃比叡門前屋は、信濃比叡広拯院の入口にあり、園原の里、遠く南アルプスの山々が一望できます。
 
 
おからを出さない門前豆腐や秘伝くるみだれ使用の御幣餅などを食べることができました。また、店内には、幸運をもたらすと言われる白蛇が2匹飼育されていました。

【月川温泉】
月川温泉は古代の道東山道信濃への入口だったところで、花桃の里としても知られます。例年4月の中旬から咲き始め、白、ピンク、赤と色づいた花びら と、新緑の淡いグリーンとが重なり、美しいコントラストを見せ、一帯は色鮮やかな花桃で包まれます。  
園原に地域振興事業として旅館「野熊の庄 月川」が開業されました。当時社長であった渋谷秀逸が、人も少なく殺風景な山里に嫁いでくれた嫁たちのはげみにしたいとの思いで花桃の植栽を考えました。平成3年~平成7年にかけ約1000本の苗を清内路から譲り受け、旅館の周りや村道沿いに植栽管理を行いました。 
   
     
宿泊した旅館「野熊の庄月川」  
「野熊の庄月川」は一軒宿で春には桃の花に包まれます。pH9.0の肌がつるつるになる温泉が、石造りの内湯や岩を組んだ露天風呂にたたえられています。  

(2022.11.3撮影)

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