伏見2023

<御香宮神社>

  御香宮神社は、酒どころ伏見の氏神で、境内には伏見酒の全銘柄の酒樽が積まれています。香りの良い水が湧き出したので清和天皇から御香宮の名を賜ったといいます。応仁の乱で荒廃しましたが、豊臣秀吉が社領を与えて伏見城の鬼門除けとしたと伝わり、現在も豪壮華麗な桃山文化の名残をとどめています。 
表門 
表門は、もともとは伏見城の大手門で、伏見城で生まれた徳川頼房によって寄進されました。 
 
  御香水の石碑 
御香水は、御香宮神社境内の井水です。862年に香りの良い水が湧出し、これを飲むとどんな病も治ったことから清和天皇から御香宮の名を賜ったと伝わります。この湧き水 御香水は現在も汲むことができ伏見七名水に数えられます。明治期に水枯れを起こしましたが、井戸を掘下げ復元しました。伏見の酒の仕込み水と同じ水脈でもあり、水汲みの人で毎日にぎわいます。
拝殿 
きらびやかな彫刻が施された拝殿です。神社ではあまり見かけることのない青系に装飾された彫刻はどこか異国的な雰囲気を漂わせます。拝殿は1625年、表門は1622年に寄進されたものでどちらも秀吉の伏見城の遺構です。
 
本殿 
現存する本殿は1605年に家康の命によって建立されたもので、五間社流造に極彩色の装飾が施されています。
本殿 
1868年の鳥羽・伏見の戦いで御香宮神社は薩摩藩の本営となりましたが、境内の建物は大きな被害を受けることなく無事でした。 
 
桃山天満宮   
  伏見義民事蹟 
 天明の飢饉の只中にあった1785年に伏見の町人・文殊久助ら7人は伏見奉行・小堀政方の悪政を幕府に直訴し、小堀政方は罷免されましたが、町人7人は取調べの最中に獄死しました。伏見義民事蹟は、庶民を救ったこの7人を顕彰するため、明治時代に御香宮神社内に建てられた石碑です。



<金札宮>

金札宮(きんさつぐう)は、平安遷都以前からある古い神社で、社号はお宮建設時に天から金色のお札が舞い降りてきたことから由来します。金運アップのスポットと言われています。  
開運と幸運を呼ぶ宮としても親しまれています。境内には樹齢1200年の大きなクロガネモチノキがあります。
 
 
  御神木のクロガネモチ 

<大黒寺>
大黒寺は、空海(弘法大師)の開基と伝える真言宗東寺派の寺で、もとは長福寺と言いました。豊臣秀吉が深くこの寺を信奉したのをはじめ、武家の信仰が深く、1615年に伏見奉行山口駿河守が、薩摩藩主島津家久の命をうけて、この寺を武運長久の祈願所に定め、寺名を大黒寺と改めたと言われています。幕末には西郷隆盛らが会談に利用したことから「薩摩寺」とも呼ばれています。 
 
  平田靭負の墓 
境内には、西郷隆盛が建てたという有馬新七ら寺田屋殉難九烈士の墓碑をはじめ、伏見義民の文珠九助、木曽川治水工事の犠牲となった薩摩藩家老平田靭負(ゆきえ)の墓があります。 
 
 
 本堂 寺田屋殉難九烈士の墓碑 
幕末に西郷隆盛などの志士が国事を論じたという一室があるほか、明治維新志士の遺墨等を所蔵しています。 
 
 
  丸に十字紋の屋根瓦と大黒像 
屋根瓦には、藩主島津家の家紋である丸に十字があしらわれています。 


<キザクラカッパカントリー>
 
河童のモニュメント 
 
キザクラカッパカントリー  黄桜
キザクラカッパカントリーは、酒造会社黄桜の直営エンターテインメント施設です。庭に黄桜のシンボルの河童のモニュメントと会社名の由来の黄桜がありました。 

<新地湯>
 
 
新地湯  伏見十石舟 
新地湯は、昭和6年に創業した昔ながらのレトロな建物が目を引く建物の銭湯です。新地湯は京阪電車中書島駅を降りてすぐの場所にあります。洋風・石造りを彷彿とさせる左右対称の外観で、昭和初期に建てられた当時の趣きを感じさせてくれます。新地湯は、映画「湯道」のスピンオフドラマ「湯道への道」のロケ地になりました。

(2023,4,1撮影)
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