滝山寺2021

 滝山寺の本尊は薬師如来です。瀧山寺縁起によると、686年奈良時代の伝説的な山岳修行者、小角(おづぬ)が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、安置するために「吉祥寺」という一堂を建てたのに始まると言われています。小角は自ら薬師如来像を彫刻し、その仏身に金色の薬師如来を納め御堂に安置しました。

【三門】

滝山寺三門は、1267年、飛騨権守藤原光延(飛騨の内匠)が建立したもので、三間一戸の壮大な楼門です。 
三門の前のもみじの紅葉が見事でした。 
 
 
丸に近い形のもみじが真っ赤に染まり圧巻でした。   
   
 
滝山寺三門は鎌倉時代の仁王門で、1267年に建てらた岡崎市内最古の建造物です。左右に金剛力士像を安置していて、15世紀前半頃の作です。 


【滝山寺本堂】

滝山寺本堂は、1222年に、三河の地頭で清和源氏の流れをくむ足利義氏が建設しました。現在の本堂は、明治に解体・大修理をしたものですが、桧皮ぶきの寄せ棟造りで、鎌倉建築の特徴をよく表しています。 
    
 
本堂です。   
   
 

<滝山東照宮>

滝山東照宮は、滝山寺の隣にあります。1646年に3代将軍家光により創建されました。日光東照宮・久能山東照宮とともに「日本三東照宮」に数えられています。 
滝山東照宮は、滝山寺本堂よりも一段高い所にあります。  
    
 
滝山東照宮拝殿   
   
 
中門  滝山東照宮本殿 
本殿と拝殿の間に中門があるのが特徴で、極彩色の東照宮様式で建てられている社殿は往時の徳川家の権勢を今に伝えます。 

<日吉山王社>

山寺本堂の北側に鎮座している日吉山王社本殿は、全国的にも珍しい七間社流造の建築物です。風雨のため破損が激しく、保存修理事業が行われ、2021年3月に無事完了しました。 
    
 

【水体薬師如来】

瀧山寺の奥の院には、水体薬師如来が祀られています。水体とは、水が湧き出す泉を薬師如来としてお祀りしているのです。役行者が入った滝壺に大きな龍が金色の仏像を守護していて、その仏像を袈裟に包んで引き上げたところ、金色の薬師如来であったというのが由来です。  
    
 
   
 

【滝山寺宝物殿】

仏師運慶・湛慶父 子作の三尊である聖観音、梵 天、帝釈天を間近に見ることができました。聖観音菩薩像は、頼朝と等身で、像内には彼の鬢(びん)の毛と歯を納めたという記録もあります。その他にも重要な文化財が数多く展示されています。十一面観世音菩薩立像は、光の当て方によって厳しい顔と慈悲深い顔に早変わりするという驚きの仏像でした。
    
 

【観音堂】

   
 


<真福寺>

真福寺は、伝承では聖徳太子建立46か寺の一とされ、594年物部守屋の子の物部真福が願主となって建立したといわれています。『聖徳太子伝古今目録抄』においても、物部真福が父物部守屋のために真福寺を建立したとされています。 
    
 
真福寺は井戸の水を本尊とする大変珍しい寺です。本堂の中心に八角の御堂があり、その中の井戸水を本尊としています。水体薬師といい、この水が目と身体に大変良いということから1400年以上、今に至るまで水の信仰が続いています。
   
 
物部真福は蘇我氏との争いに敗れて諸国行脚の途中、三河の国の山中できれいな水の湧き出す泉を発見しました。そのほとりに立つと不思議なことに薬師如来が姿を現わし「ここに良い薬がある、私はこの泉の中にいる」と告げ、泉の中に姿を消したということです。真福は病から人々を救うというこの泉の水を守り伝えたいと思い、聖徳太子に寺の建立を願い出たといわれています。 
    
 
水体薬師は秘仏とされ一般には公開されていませんが、この井戸から汲んだという御霊水は目薬用と身体健康用の2種類が容器にいれて本堂内で授与されております。  
   
 
鐘楼(招福の鐘)   
山の中腹に本堂、多宝塔、太師堂、鐘楼などが配置されていて、真っ赤な空中回廊で結ばれていています。 
    
水かけ不動 
 
大師堂   
 
 
万年かめです。  多宝塔です。中に釈迦、多宝如来の二仏があります。 
   
開山堂です。中に毘沙門天が祀られています。   八所神社 
   
 
参集殿の庭園  竹膳料理
真福寺は竹膳料理で知られています。膳から器、箸に至るまですべて竹細工で、竹の香りをかぎながら、料理を楽しむことができます。 


<岩津天満宮>

菅原道真公を祀る岩津天満宮は、学問の神様としてよく知られ、進学祈願の参詣者が年中参拝します。梅の名所としても知られています。 
    
 
三の鳥居   
    
神楽殿
 
和魂漢才碑と飛梅殿  拝殿
    
岩津稲荷 
 
  長七庵 

(2021.11.23撮影)
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