トロイ遺跡
トロイ遺跡は、ドイツの実業家ハインリッヒ・シュリーマンが1870年から3年を費やして掘り当てた遺跡です。その後の考古学者による発掘で、トロイ遺跡では紀元前3000年ごろに始まる初期青銅器時代(第1市)から、紀元前350~400年頃のローマ時代(第9 市)まで、9層にわたり積み重なる都市の遺構が発見されました。
トロイの木馬の復元したものがありました。中に入ることができます。 | ||
トロイの木馬の中の狭い階段を登って、上の窓から景色を眺めることができました。 |
尖底土器がありました。 | 入口はセキュリティがしっかりしていました。 | |
トロイ遺跡の歴史についてガイドさんから説明を受けました。 |
トロイは、初期の集落から古代ローマ時代までの3000年の間に9度起こり9度滅んだといわれています。遺跡は最初の第1市から古代ローマの第9市までが見つかっています。 第1市 初期青銅器時代(B.C.3000〜2500) 火災で滅びました。 第2市 ヒッタイト王国(B.C.2500〜2200) エーゲ海交易によって栄えましたが、火災で廃墟となりました。 第3・4・5市 沈滞した時代 第6市 繁栄した時代(B.C.1700〜B.C.1250)地震で滅亡しました。 第7市 トロイ戦争の時代(B.C.1250〜B.C.1000) 第8市 ペルシャの支配・アレキサンダー大王遠征時代(B.C1000〜B.C.85) 第9市 ローマ時代(B.C.85〜A.D.400) |
古代ギリシアの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』によると、トロイは王妃ヘレネをめぐり、ギリシアと10年におよぶ戦争(トロイ戦争)となりました。「トロイの木馬」の計略により、一夜にして陥落した伝説が残っています。シュリーマンは、神話上の都市と考えられていたトロイの実在を信じ、私財を投じて発掘に成功しました。シュリーマンは多くの財宝を発掘し、ギリシア軍に攻め落とされたトロイの王の名から「プリアモスの財宝」と名付けましたが、それらはトロイ戦争より1000年以上も古い時代のものと判明しました。彼が掘っていたのは、紀元前2600~2300年ごろの第2市だったのです。 |
トロイの歴史は、紀元前3000年にさかのぼります。。 | ||
ここで初期の青銅器文明の時代に集落がおこり、やがてエーゲ海交易の中心地となっていきました。 |
トロイが一番反映していた頃の第6市の城壁です。 | メガロン式住居跡がありました。 | |
トロイ遺跡の丘から海の方を見ると、一面の小麦畑で、その先にエーゲ海が見えます。 古代には城壁の近くまで海がきていたと言います。、トロイは古代のエーゲ海交易の中心地でしだ。 |
城壁や建物、風呂の跡が残っていました。 |
第1市から第9市までを見ることができる地層です。市の番号が表示されていました。 |
第2市の正面門に通じる傾斜路です。荷馬車の軌の跡が残っています。 | ||
第9市時代の小劇場(オデオン)です。音楽会、演劇、会議に使用されていました。 |
第 8 ~ 9市時代の聖域です。アレキサンダー大王時代の神に生贄を捧げる儀式を行った場所です。 | ||
BC300年頃の井戸です。 | ||
シュリーマンが最初に遺跡と財宝を見つけた場所です。シュリーマンの発掘のため、この上にあった何層もの遺跡は破壊されてしまいました。 | リスがいました。 |
(2019.9.19撮影)
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