パムッカレ

パムッカレは、トルコ西部デニズリ県に広がる石灰華段丘で、ヒエラポリス遺跡とともに複合世界遺産に登録されています。パムッカレとは「綿の宮殿」というトルコ語で、綿花の一大産地であったことに由来しています。 

<石灰棚>

パムッカレは石灰華段丘からなる丘陵地の名前で、ヒエラポリスというローマ帝国の都市が存在しました。
 
 
 足湯として歩くことができました。  
 
 
二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が台地を作っている石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かした地下水となり、その地下水が地熱で温められて地表に湧き出て温泉となりした。その温水中から炭酸カルシウム(石灰)が沈殿して、純白の棚田のような景観を作り出したものです。 
 
 
ぬるぬるしているので滑りやすく、歩くのは転ばないように気をつける必要がありました。 
 
 
 棚田の畦の部分は、流れてきた植物片などがひっかかり、これに石灰分が沈着して次第に堤のように成長したものです。これは温水が畦を越流する時に石灰分の沈積が化学的に加速するためでもあります。
このような石灰棚の景観が約200mの高さにわたって広がっていました。
 
 
湯の温度は高くなく、気持ちのいい足湯でした。
 
 
近年は、ホテルに温泉水を流すため、温泉の枯渇と汚染が始まり、景観がくすんできたということです。
 
 
 炭酸カルシウムを含んだ温泉が山肌を流れ落ち、長い年月をかけて沈積してできた100以上もの石灰棚が、昼間は空の色を反射して青く輝きます。
 
 
町を見下ろすことができました。   
石灰棚の上の休憩所で、足を拭くことができました。 
 
 
 
 
 
 
石灰棚の上の丘がヒエラポリス遺跡です。 

<ヒエラポリス遺跡>
ヒエラポリス遺跡は、パムッカレの石灰華段丘の一番上にある紀元前190年に起源をもつ都市遺跡です。ローマ帝国の温泉保養地として栄えました。ローマ帝国時代にも地震で破壊されましたが、その後復興しました。しかし、1354年の大地震やセルジューク朝の侵攻などで完全に廃墟と化しましたが、ローマ劇場や、ローマ浴場などが残りました。
 
入口ではセキュリティチェック
 
紀元前2世紀頃に造られた15,000~20,000人収容の円形劇場です。   
 
 温泉の湯の水路です。
 
ローマ式の浴場である北の浴場、一度に1,000人が入浴できた大浴場跡、アポロ神殿跡などの遺跡、温泉の湯の水路などが残り、温泉保養地として繁栄を極めたことがわかります。

(2019.9.21撮影)
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