チュニスTunis

  チュニジアの首都、チュニスは、アフリカ、イスラム、ヨーロッパ、地中海地方の文化がモザイクのように散りばめられた、色彩豊かな美しい街です。さまざまな人種、国籍の人々が行き交い、ほかのアフリカの街々とも異なる文化をもち続けました。その旧市街は、1979年に文化遺産に登録されています。 
チュニスの町 
もともとチュニスは、古代フェニキア人によって築かれ栄えたカルタゴの衛星都市でした。その後ローマ、ビザンチンの支配下時代を経て7世紀よりアラブ帝国によるイスラム化が始まり、グランド・モスクが建設されるなど、チュニスはイスラムの都市として形作られていきました。16世紀にはオスマン帝国の属州となり、1881年フランスのチュニジア侵攻により1956年に独立するまではフランス保護領となっていました。その時代につくられていった新市街は西洋的な街並みとなっていて、コロニアル風な建物が建ち並んでいます。
サン・ヴァンサン・ド・ポール大聖堂 
サン・ヴァンサン・ド・ポール大聖堂は、1893年から1897年に建築されました。この大聖堂は、イスラム教のモスクが多くあるチュニスにおいて希少なカトリックの教会です。クリーム色の外壁と白い柱が左右対称に組み合わさった外観がとても美しく、周りの建物とは趣が異にしています。
宿泊したアフリカ・ホテルから見た風景 
宿泊したアフリカ・ホテルからハビブ・ブルギバ通りが見えました。通りの東端には1月14日広場があり、時計台とブルギバ元大統領の像が佇立しています。旧市街から東へ歩いた終点がここです。チュニス湖と呼ばれる広大な自然のラグーンが見えました。
 
1月14日広場 ブルギバ元大統領の像 
 時計塔のある広場は「ジャスミン革命」の成就を記念して「1月14日広場」と名付けられています。
市民劇場 
 
ハビブ・ブルギバ通り
ハビブ・ブルギバ通りは幅が広く、中央部は歩行者天国で市民の憩いの場となっています。新市街の東西に伸び、西側はフランス通りにつながる独立広場から、東側は時計塔のある1月14日広場を通り、チュニス湖までを結んでいます。
フランス門 
フランス門はチュニスの旧市街と新市街の間に立つ大きく美しい門です。かつてはこの門の横に城壁が続いていました。その奥にはメディナが続き、お土産を探す観光客や普段の買い物のチュニス市民が絶え間なく往来しています。
ビクトワール広場(勝利の広場) 

<旧市街(メディナ)>

現在の旧市街は、13世紀の姿を残しているといわれています。迷路のような旧市街にはスーク(市場)があり、土産物、雑貨、日用品などが所狭しとならんでいます。もともとチュニスのメディナは城壁に囲まれていましたが、今はいくつかの門を残すのみです。1979年には世界遺産に登録されました。 
 
ジャーミア・ズィトーナ通りには沢山の店が軒を連ねていて、露天も所狭しと並んでいます。あらゆる種類の雑貨や衣類、香料、食べ物、装飾品、お土産物などを買うことができます。 
迷路のような路地の両側に所狭しとお店が並んでいます。石畳に白い壁、黄色や青の扉が似合います。
 
かつての名残で外敵の侵入を阻止するため、路地は迷路のように入り組んでいます。迷子にならないように要注意です。
 
銀食器や陶器、革製品、布製品、スパイス、香水、トルコ帽、バブーシュと呼ばれる革のスリッパなどなど、アラブ世界を感じられるお店が並んでいて、見ているだけで楽しい空間です。 
グランド・モスク 
グランド・モスクは、698年から建設が始まったチュニジアで二番目に古いモスクで、国内全土の信仰を集め、ジャーミア・ズィトーナ・モスク(オリーブの木のモスク)という別名を持っています。

(2024 .5.10撮影)
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