スースSousse

  スースは、チュニスの南約140kmに位置するチュニジア第三の都市で、人口は約43万人です。町は美しく、「サヘルの真珠」といわれ、旧市街(メディナ)はユネスコ世界遺産に登録されています。 

<グランドモスク>

スースのグランド・モスクは、9世紀に築かれた広大なモスクです。高さ8mの城壁で囲まれていて、宗教施設であると同時に軍事施設としての機能ももっていました。港や兵器庫を守る要塞の役目も果たしたため、通常メディナの中心にあるグランド・モスクが、メディナの端の海岸近くにあります。
グランド・モスクの海側の角には見張り台を思わせる頑丈な石造りの塔があります。イスラム教徒以外が立ち入れるのは、モスク内の中庭のみです。
このモスクにはミナレット(尖塔)がありません。そのため祈りの呼びかけであるアザーンはリバトの塔から行っていた様です。モスク内のアーチや円柱は、他の古いモスク同様ローマ遺跡から流用されています。  



<リバト>

リバトは、北アフリカの沿岸部や国境に建設されたイスラムの要塞修道院のことで、防衛機能と宗教施設を兼ね備えた建造物です。チュニジアで最古のアラブ建築の一つと言われています。8世紀に建設が開始され、9世紀に完成したとされており、それ以来、現在まで破壊されることなく、当時の建築を今に伝える重要な建造物です。
 
リバトは、8世紀に建造された砦を9世紀のアグラブ朝時代に修復し、軍事要塞兼イスラーム神秘主義の宗教施設となりました。ここはもともとは町の防衛やイスラム教の布教の拠点としての役割を持っていたものですが、やがてスーフィー(神秘主義者)の修行場としての側面が強くなってきました。内部には35の部屋を持ち、モスクの機能も備えた施設となっています。高さ38mのミナレットもあり、監視塔としての役割を持っていました。
<メディナ(旧市街)>
スースの旧市街(メディナ)は9〜10世紀のアグラブ朝時代に建造され、ここは主要港となり、町は大いに栄えました。しかし、18世紀になるとヴェネツィア共和国とフランスに征服され、19世紀後半からはフランスの保護領となりますが、旧市街はそのまま残されました。  
 旧市街は城壁で囲まれています。
 
町の起源は紀元前9世紀という歴史のある古都で、カルタゴの英雄ハンニバルがローマ軍との戦いの拠点をここに置いたとする言い伝えもあります。なだらかな丘に築かれた旧市街はメディナと呼ばれ、内部には古い要塞やグランド・モスク、そして白壁に青い窓や扉のコントラストが美しい家々が並びます。
   
スースのメディナ(旧市街)はその古い歴史が醸し出すエキゾチックな雰囲気に溢れ、青と白のコントラストが美しい絵になる街並、アラブの香り一杯の数々の店、民族衣装店と並んで陶器を扱う店も多く、カラフルなデザインの陶器を眺め歩くのも楽しいものです。
 
ショッピングセンター 
 
 旧市街の門 スースの海岸 


<ファルハット・ハシェド広場>

ファルハット・ハシェド広場は、スースの旧市街と新市街が交差するスースの中心です。 
スースは、首都 チュニスから南へ約140kmに位置する港町です。ここは9〜10世紀のアグラブ朝の主要港として栄え、イスラム教の歴史において最初期の典型的なイスラム都市です。

ナブールNabeul

ナブールはボン岬の中心地で、ナブール焼きが有名な街です。古くはバビロニアを起源とし、17世紀にスペインを追われたアンダルシア人が釉を使った陶器作りの技術を伝えたことで発展したところです。 
 
こちらの大きな木も下を見るとそこに陶器のポットがありました。ナブール焼きと呼ばれるこの地らなではの焼き物で、チュニジアを代表する伝統工芸です。 
 
ナブール焼きは、濃い目の色合いのカラフルなデザインが特徴的なチュニジアの伝統工芸で、中でも青色は「チュニジアン・ブルー」と呼ばれており、お土産に大人気です。黄緑はチュニジアのもう一つ名産であるオリーブを示しています。
 
実際に陶器工房に行き、陶器制作の実演を見せていただきました。店内は至るところに陶器が陳列されており、選ぶのもひと苦労です 



(2024.5.13)
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