エル・ジェムEldjem

  エル・ジェムは最初、カルタゴの植民市として誕生し、オリーブ油の交易で栄えました。BC150年ごろローマに征服され、ローマ風の街並みに作り変えられました。エレジェムの円形闘技場は、アフリカ総督だったローマ皇帝ゴルディアヌス1世の命により建設されました。 7世紀にはイスラムの勃興により、侵攻してきたアラブ軍と先住民ベルベル人との最終決戦がエル・ジェムで行われました。ベルベル軍を率いた女王カヒナは、円形闘技場に立てこもり、追い詰められて炎の中に身を投じた最期だったといわれています。その後、イスラム化した世界でエル・ジェムは重要性を失い、乾燥化とあいまって徐々に衰退していきます。競技場は砂に埋もれ、その石材は一部、カイルアンのモスク建築などに使われましたが、大きくは破壊されず、大部分は残り現在に至っています。


<円形闘技場>

ローマ帝国はその領土に多くの巨大建造物を建設して来ましたが、その代表的なものが円形闘技場です。チュニジアに25ヵ所残る中でエル・ジェムの円形闘技場は最も保存状態が良くローマをも凌ぐと言われています。この円形闘技場は繁栄を極めた2世紀に建設が始められ、3世紀初めに完成しましたが、長径149m、短径124mの楕円形で、高さは36mあり、35,000人もが収容出来る巨大さで、世界遺産に登録されています。 
 エル・ジェムの町はこの円形闘技場を中心として放射状に広がっていて、名実ともに町の中心です。闘技場としては、ローマのコロッセウムとカプア遺跡に次いで世界第三位の大きさで、アフリカ最大の円形闘技場です。その保存状態の良さから1979年に単独で世界遺産に登録されました。
 
ローマ時代の円形闘技場のうち3階部分まで現在まで残されているのは、ローマのコロッセオとエル・ジェムの円形闘技場だけです。エル・ジェムの円形競技場の石材は、30km離れた場所から運んできたそうです。
エル・ジェムの円形闘技場は3万5千人もの人々を収容することができました。当時この地域の人口は3万人だったといわれているから驚きの数字です。ローマのコロッセウムより保存状態が良く、現在でも数万人の収容能力があり、毎年夏には交響曲フェスティバルが催されています。 
 
アリーナの中央には地下通路が見えました。   猛獣が控えていた部屋と地下通路
アリーナの地下には、縦横に通路が配されており、詳しく見学できました。剣闘士の控室や、猛獣を入れておく部屋もあり興味深いものです。猛獣は地下から檻に入れたまま、エレベーターで闘技場へ運ばれたました。猛獣が飛び出すと、観客たちは大いに沸きました。アリーナでは、剣闘士の戦い、猛獣同士や猛獣対人間の戦い、さらに戦車競走など、たくさんの演目が行われ市民を熱狂させたようです。 
エル・ジェムの円形闘技場は、ゴルディアヌス1世の命により建設されましたが、彼の治世は短く、また突然に終わったため、闘技場は未完成だったともいわれています。ゴルディアヌス1世の死によってエル・ジェムの街も廃れ、砂に埋もれた遺跡として、今日まで保存されることになりました。  
 
  地下の部屋 
ローマ帝国が衰退すると、円形闘技場はベルベル人の要塞として利用され、17世紀まで原型を保っていたものの、オスマン帝国によって一部は破壊されました。現在の円形闘技場はローマのコロッセウム以外で唯一3階部分を残しているのも特徴です。
  
 
   土産物店
円形闘技場の一部が破壊されているのは、1695年に当時この地を支配していたオスマントルコに抵抗する人々がここに立てこもり、それに対してオスマントルコ側が大砲を撃ち込んだためです。
 
 
モザイク作品の土産物店  モザイク製作 
現在のエル・ジェムは小さな町ですが、闘技場を見に来る観光客相手にたくさんの土産店が並んでいます。ここにはモザイク工房が多くあることから、名物はモザイク作品です。野鳥や植物などのモチーフの小さなモザイクが素敵でした。モザイク製作の工房を見ることができました。


<エル・ジェム博物館>
エル・ジェム博物館は、エルジェムの裕福な邸宅を改築し、2~5世紀のローマ邸宅にあったモザイク画を収集した博物館です。 
エル・ジェムはローマ帝国のアフリカ領の中で最も豊かだった都市の一つで、2世紀には繁栄を極め、市民が豪華な邸宅を建てた際作らせた見事な多数のモザイクが、現在は当時の住居跡と共に博物館に展示されています。 
 
モザイクの題材はギリシャ・ローマ神話からとったものも多く、頭に麦やブドウなどを飾っているのは豊穣とブドウ酒の神ディオニュソス(ローマ神話ではヴァッカス)です。
 
博物館内には古代ローマの住居跡から発掘された多くのモザイクが展示されていますが、そのどれもが実に見事で保存状態も良い事に驚かされます。 
 
博物館に展示されているモザイクの多くは当時の豪邸の床を飾っていたものですが、モザイクのテーマとして神話以外では鳥や動物を描いたものが多く見られます。 
博物館の敷地内にローマ時代の屋敷跡が有り、多くのモザイク画も綺麗に残っています。 
博物館の敷地には古代ローマ人の住居跡が広がり、1700年ほど前の当時の家の間取りや街並の様子などが判ります。


<スファックス>
スファックスは、地中海に面して発展したチュニジア第二の都市です。商業の街ともいわれています。
旧市街は城壁で囲まれています。 ギザギザの城壁にぐるっと囲まれたメディナには6つの入り口があります。現在の城壁は第二次世界大戦で大きく破壊されてしまった後に復元されましたが、一部現存している古い城壁は9世紀に建てられたものです。
 
 スファックス市宮殿  
(2024.5.13)
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