ドゥッガDougga

  世界遺産の巨大遺跡ドゥッガは、標高約600mの見晴らしのいい小高い丘の上にある、北アフリカ最大の古代ローマの遺跡です。もともとベルベル人のヌミディア王国の中心都市であったことから、後のローマ時代も重要視され繁栄しました。2000年後の現在は、静かな田園地帯の広大な丘陵一帯に神殿などがそびえ、1997年に世界遺産に登録されたことから注目を集め、人気が出てきています。
ドゥッガは、紀元前ヌミディア王国の重要な都市として建設され、後にカルタゴ、次いでローマに征服され、紀元2~4世紀には大いに繁栄し人口は1万人以上だったと推測されます。ローマ帝国が衰退すると、ヴァンダル人に破壊され、ビザンチン帝国時代は要塞化されました。イスラム時代になると廃墟となり忘れられていましたが、19世紀末に考古学者により発掘され、今は見晴らしの良い巨大遺跡として多くの観光客を集めています。 
劇場です。丘の傾斜を利用してスケールの大きな観覧席が設けられています。15mの高さを誇る観客席は、3500人も入れる大きさで、今でもイベントに使われています。保存状態は良好で、最近では夏になると、ここでドゥッガ・フェスティバルというクラシック音楽のコンサートが開催されます。
 
 
劇場は傾斜がきつく、上るのも大変でした。ステージに立って手を打ってみると、とても響いて聞こえました。はるか昔の人々の技術に驚かされました。観客席も1等、2等、3等などと分かれていたそうで、写真の前方の仕切りより前が1等だったようです。 
観客席の上まで上がると、なだらかな丘陵地帯が見渡せました。約70haもあり北から南へかけての山手一帯に都市遺構が広がっています。
劇場から南西方向に歩みを進めると、都市の中心部にそびえるキャピトルこと大神殿があります。ここはドゥッガのシンボルといえるもので、絵葉書や紙幣・切手になった素晴らしい建造物です。キャピトルは、アテネのパルテノン神殿よりも保存状態が良いと言われています。 
 
 
この神殿はマルクス・アウレリウスとルキニウス・ウェルスの共同皇帝に捧げられたもので、ユピテル、ユノー、ミネルヴァの三神が祀られています。遺構内の道も石畳となっていて、きちんと舗装されているのがわかります。
キャピトルの手前に広がるのは、風の広場です。広場の一角に12種類の風の名前が彫られていたことに由来します。キャピトルに近づくとその巨大さを実感できます。意外に保存状態が良く、2000年の時を経て堂々と佇立しています。コリント様式の列柱が大きな屋根部を支え、青空を背景にそそり立つ景観は圧倒的な迫力があります。
 
階段の上の6本のコリント式の円柱がそびえ、柱には縦の溝彫りがあり、柱頭には葉飾りのような複雑な彫刻が見られます。かつて内部には6mにも及ぶジュピター像が安置されていたそうです。神殿の隣にあるフォルムと呼ばれる場所は市民広場でした。
アレクサンデル・セヴェルスの凱旋門 
 
公衆トイレです。Uの字形に座って12人ほどが一斉に用を足すことができます。この形になっているのは、当時のローマ人はトガと呼ばれる長衣を着ており、それを着たままトイレを覆って用を足すように作られているためです。市民の団欒の場として世間話がはずんだかもしれません。汚水を流す下水設備は完備していました。 
 
床のモザイク 
 
ウチワサボテンの花と実を同時に見ることができました。ウチワサボテンの実は食べることができます。
トリフォリウムの家です。これは売春宿で、隣りの浴場とは建物がつながっていたようです。一旦、表通りに出ることなく、行き来が出来たそうです。 
 
リビコ・ピュニック廟  
遺跡の出口へ至る東側の下部にローマ遺跡とは雰囲気の違う塔が見えます。これは、リビコ・プュニック廟と呼ばれるもので、貴重なローマ時代以前の建築物です。紀元前3世紀のヌミディア王子の墓とされ、カルタゴ語とベルベル語で書かれた碑文が発見されました。オリーブの木に囲まれた高さ21mの石塔は、どことなく現代にも通じるデザインをしています。ローマの都市遺跡のなかにひっそりと建つベルベル人の建築は、世界遺産ドゥッガのシンボルともなっています。

(2024.5.14)
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