マラケシュ

  マラケシュは、11世紀後半、最初のイスラム国家ムラービト王朝の都と定められ、商業・経済・学問の中心として繁栄をほしいままにしてきました。いくたびも王朝の栄枯盛衰のドラマを見てきたメディナと呼ばれる旧市街は、世界遺産にも登録されていて、人々の活気とイスラムの歴史があふれています。


<クトゥビア>

クトゥビアは、12世紀に建てられた美しいムーア様式建築のミナレット(塔)です。高さ77mあり、マラケシュのランドマークになっています。4面にはそれぞれ異なる装飾が施されています。先に完成したモスクは現在は残っていません。 
 
 
セビリアのヒラルダの塔、ラバトのハッサンの塔と並ぶ世界三大塔です。  
    
 
  基礎部分が残ったモスク 
   
水売りです。    みかんの花 
    
 
   
   
   
街路樹にみかんがたくさんありました。   


<バヒア宮殿>

バヒア宮殿は、19世紀末、アラウィー朝ハッサン1世の宰相アリ・バハメットの私邸として建造されました。モロッコのアルハンブラ宮殿とも言われます。この宮殿には、4人の妃と24人の側室用の豪華な部屋を配した宮殿建築です。アトラス杉の細密画の天井、些細な彫刻が施された柱と壁など、モロッコに限らずイスラム芸術文化の粋を集めた輝く宮殿です。
    
 
中庭、噴水、そしてその周りに回廊があり、白壁の回廊にそって4つの妃部屋があります。  
   
   
  幾何学模様のタイルなどイスラム建築の特徴を表しています。 
     
  見事な透かしの彫刻です。 
    
 
24人の側室部屋    
    
 
   
中庭で心を癒したようです。   
   
   
黄色のブーゲンビリアが咲いていました 

<サアード朝の墳墓群>

 サアード朝の墳墓群は、サアード朝(1549~1659年)代々のスルタンが葬られている大墓廟群です。アラウィー朝のムーレイ・イスマイルが、この墓廟を壁で囲んでしまったため、1917年に空から発見されるまで、その存在は知られていませんでした。
     
入り口が分かりにくくなっています。 
   
中庭には家来たちの墓が並んでいます。  
   
ミハラーブの間 
    
12円柱の間です。中央の墓はサアード朝の黄金期の王、アフメド・アル・マンスールの墓です。 
   
アル・マンスール王の子どもたちなどの墓が安置されています。  

<アグノウ門>

 12世紀、ムワッヒド朝時代に建造されました。馬蹄形のアーチの周囲は赤と緑の砂岩で装飾され、コーランの一節が刻まれています。
    
 
    
 
アル・マンスールモスク  
    
 
門の上にコウノトリが巣を作っていました。  
   

<ジャマ・エル・フナ広場>

ジャマ・エル・フナ広場は、マラケシュ旧市街の中心に位置する大きな広場です。夕方からは屋台が並び、ヘビ使いや踊り子、曲芸師などによる大道芸が行われ、毎日深夜まで大勢の人で賑わいます。毎日がお祭りのようです。 
 
 
大道芸人があちらこちらで演技をして一年中大賑わいです。 
   
背後にクトゥビアが見え、入り口には馬車が数珠つなぎに待機しています。  
    
 
    
 
  オレンジジュースのスタンドが人気です。 
    
 
   世界遺産です。
    
 
蛇使いや猿回し、伝統音楽演奏などの大道芸人が多く集まっています。  
   
 
蛇使いに踊らされているコブラです。 

<メディナ(旧市街)のスーク(市場)>

    
 
   
 
野菜や果物が豊富に売られていました。  
   
大きいイチゴです。     
   
雑貨も色とりどり     
   
細い路地が迷路のようです。   
(2016.3.25、26撮影)
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