イムディーナMdina

  イムディーナは、マルタ最古の都市で、マルタ島中央部にあり、かつては首都でした。イムディーナでの定住の痕跡は、紀元前4000年より前に遡ります。紀元前700年頃にフェニキア人によって初めて要塞化されました。これは、町の位置が海まで見通せることが可能な島の最高点にあるという、軍事的要所であったことが理由です。マルタがローマ帝国支配を受けると、ローマの知事は自身の邸宅をイムディーナに建てました。60年に使徒パウロは、乗っていた船がマルタで難破した後にイムディーナで暮らしたと言われています。イムディーナという現在の名前を初めて与えたのは、870年頃にマルタへやってきたシチリアのアラブ人によるものです。彼らは広い堀と厚い防御用壁を持つ都市を作り上げ、近隣の町ラバトからイムディーナを切り離しました。1091年にはノルマン人がマルタを征服しました。1565年のマルタ包囲戦では、聖ヨハネ騎士団が最後まで重要な要塞であったイムディーナを守り抜きました。島が聖ヨハネ騎士団の所領となり都がスリーシティーズに移ると街は次第に寂れ、「静寂の町」と呼ばれるようになりました。 
メインゲート 
イムディーナに通じるゲートは3つあり、その中でもひときわ目立つ門がメインゲートです。メインゲートは1724年、当時の騎士団長マノエル・ド・ヴィレーナによって建設されたものです。それ以前はイムディーナに入るには跳ね橋が利用されていましたが、現在ではその跳ね橋は門の右側の壁に埋め込まれています。 
 
メインゲートの内側 
 
メインゲート  イムディーナの地図 
メインゲートには聖ヨハネ騎士団長マノエル・ドゥ・ヴィナーレの紋章が彫られています。門の両側にはヴェレーナ家の紋章であるライオンが鎮座しています。 観光馬車が雰囲気演出して中世の趣きを醸し出しています。門の内側にはマルタの守護聖人、聖パウロ、聖パプリウスそして聖アガタが彫られています。街全体が城壁に囲まれていて、入口の橋を渡り城門をくぐったとたんに中世の雰囲気に包まれます。 
 
マルタ国立自然史博物館が、イムディーナ門の隣にあります。マルタ国立自然史博物館は、騎士団長マノエル・ドゥ・ヴィレーナによって1726年に再建されたフランス・バロックの宮殿であるヴィレーナ邸の建物の中にあります。
メインゲートをくぐると一気に静寂に包まれ、落ち着いた古都の美しい街並みが広がります。中世の面影が残っている街中に、馬車が走っていて、まるで中世のタイムスリップしたかのような気持ちになりました。 
 
細くひっそりとした路地をゆっくりと散策できます。イムディーナ内では車の乗り入れが制限されているので、徒歩で街内を散策するのにぴったりです。のんびりと心地よく散歩を楽しむことができます。イムディーナは、 歴史的な価値と美しい建築物 で知られており、訪れる人々をまるで中世にタイムスリップしたような気持ちにさせる街です。
山のないマルタでは貴重な小高い場所から眼下の眺めを楽しめるポイントで、晴れている時は遠くに地中海とヴァレッタが見えます。広場は眺望を楽しむ観光客でいつも賑わっています
 
 城壁に囲まれたイムディーナは、狭い路地が多く、静寂の町と呼ばれています。イムディーナはマルタを代表する観光地のひとつである。広場に建つ聖パウロ聖堂がランドマークとなっていて、ノルマン建築、バロック様式などの個人の邸宅や教会が混ざり合って残っています。
聖パウロ大聖堂と聖パウロ広場 
イムディーナの町でひときわ目立つ聖パウロ大聖堂は、町の中心的建造物で、マルタ最初の聖堂であり、歴史ある聖堂す。伝説によると、4世紀に聖パウロの祈りにより、病の床に伏した父を救われたことからキリスト教に改宗し、マルタ最初の司祭となった聖パブリウスの家の跡地に聖母にささげるため建築されたマルタで最初の聖堂です。その後、聖堂は9世紀イスラム教支配下の時代に破壊されましたが、13世紀ノルマン人支配下の時代に聖パウロに捧げる大聖堂として再建されました。   
 
 聖パウロ大聖堂  
聖パウロ大聖堂は、 イムディーナの中心的な建物で、広場にあるので必ず目に入ります。かつてイスラム教からの支配があり、戦いや大地震などで何度も倒壊してしまったことがあります。現在建っているのは、マルタの建築家が再建したものになります。
 
中世の狭い静かな通りを持つ城郭都市です。狭い通りをそぞろ歩く静かな環境が維持されています。市内への自動車乗り入れが制限されていますが、限られた地元住民の自家用車、救急車、結婚式の車などは許可されています。 

(2023.9.23撮影)
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