マラッカ

マラッカは,15世紀初めに明(中国)の支援を受けたムラカ王国が貿易港として発展しました。1511年からポルトガルの,1641年からオランダの支配を受け,1824年にイギリス領となりました。今日人口の70%以上が福建人を多数派とする華人で占められますが,マレー化した中国系,ポルトガル系住民が多い町です。  
<ムラカ・キリスト教会>
 ムラカとはマラッカのことであり,ムラカ・キリスト教会は,1753年にオランダ統治時代につくられました。
   
 
   
 
     
ビクトリア女王噴水  時計塔   オランダ広場 

<サンチャゴ砦,セントポール教会>

 サンチャゴ砦は,マラッカを占領したポルトガルが1511年に築いた砦跡で,ポルトガルに続いてマラッカを支配したオランダも要塞として使用しました。その城壁は,イギリス統治時代の19世紀に取り壊され,石造の門だけが当時の姿をとどめてます。
セントポール教会は,1521年にポルトガル人がキリスト教布教の拠点として建設しました。フランシスコ・ザビエルは1545年,ここから日本へと向かい,彼の死後,その遺骨はインドのゴアに移されるまでの数年間,この教会に安置されていました。
    
 
セントポール教会礼拝堂史跡    
    
 
ザビエルの像   
    
 
   
  ポルトガル軍の作った大砲 
   
フランシスコ・ザビエルが埋葬されていたという場所   

<青雲亭寺院>

  青雲亭寺院は,明の永楽帝の命を受け大遠征を指揮した海軍大将「鄭和」の功績をたたえ1646年に建立されました。中国から運ばれた資材で作られたというマレーシア最古の中国仏教寺院です。
    
 
    
 
    
 

<チャイナタウン>

ヨーロッパのいくつもの列強国に支配されてきたマラッカですが,現在は中華系が多く住みのどかな日常が繰り広げられています。そんな中華系マレー人の生活を垣間みられるのがチャイナタウンです。中国人とマレーの女性が結婚して生まれた混血 (プラナカン)の文化であるプラナカン文化が根付いています。
    
 
    
 
 ジョンカー通り 色華やかに飾られたトライショー 

(2013,12,15撮影)