高取山

  高取山(583.9m)の山頂に築かれた高取城は、日本国内では最大規模の山城で、備中松山城や岩村城とともに日本三大山城のひとつに数えられます。城内は、約10,000平方m、周囲約3Km、城郭は約60,000平方m、周囲約30Kmという広大で、山城としては日本一と言われています。高取城は、南北朝時代、南朝方であった越智邦澄が1332年に築城したのが始まりと伝えられています。豊臣秀吉の四国攻めで長宗我部元親を降した功績により大和国を与えられた豊臣秀長の時代には、重臣の脇坂安治や本多利久が城主を務めました。1615年の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在も石垣や石塁が残されています。高取城のように山城のまま石垣、天守、櫓、門、殿舎まで築かれた例は少なく、山城でありながら小天守まである貴重な城です。
 今回は、小嶋寺を出発し、土佐街道、砂防公園、七曲りを通り、山頂の高取城跡を巡り、五百羅漢を通り、壺阪寺に下山しました。

<高取土佐街道>

江戸時代には、城下町や西国第六番札所壷阪寺の門前町として栄えた土佐街道は、明治以降も薬の街として、薬草の栽培や製薬に従事する人々や、全国各地へ大和薬を販売して回る人々で大いに賑わっていました。今は町家や高取城の二ノ門を移築した子嶋寺、長屋門のある武家屋敷など旧城下町の景観が点在しています。 
   
高取城の二ノ門を移築した子嶋寺  
   
土佐街道の街並み  
   
佐町大年寄伊勢屋の屋敷跡  藩主下屋敷表門を移築した石川医院  
   
高取城松ノ門  武家屋敷(田塩家) 
   
植村家長屋門…城代家老の役宅であったが、現在旧藩主植村氏の住居 

<砂防公園~猿石>

   
  上子島砂防公園  高取城の再現写真 
   
  黒門跡(高取城第一門)  宗泉寺(高取藩主菩提寺)
   
山道に入ってきます。     七曲り
   
一升坂  猿石 

<二の門跡~千早門跡>

   
二の門跡  松ノ門跡 
   
宇陀門跡   
   
千早門跡    
<大手門跡~高取城本丸跡>
   
大手門跡 
   
    十三間多門跡 
   
   
十五間多門跡     太鼓櫓跡
   
新櫓跡  二の丸跡  
     
     
   
高取城本丸跡   
   
大台ヶ原、大峰山、吉野山などが見える絶景です。  
   

<五百羅漢遊歩道>
山頂から少し下った山肌に数百体の羅漢を薄肉彫りした岩が散在しています。室町時代に作られたと考えられていて、高取城を築城した際に彫られたとする説が有力です。どの石仏も顔がそれぞれ違っていて「親に会いたければ、五百羅漢の堂にこもれ」と言われています。
   
  冥救地蔵  奥の院三尊 
   
 五社大神   十一面尊 
   
  護法大黒 
   
下山の途中にも、のどかな絶景を見ることができました。  
   
<壺阪寺>
壺阪寺は、703年に、弁基上人がこの山で修行していたところ、水晶の壺を坂の上の庵におさめたのが始まりと言われています。

   
   
   
   
(2016.12.2撮影)