大山道(横手道)

  大山道は、大山を中心に四方に発達した古道の総称です。大山は古くから人々の信仰を集め、山腹にある大山寺を中心に、「坊領道」、「尾高道」、「溝口道」、「横手道」、「川床道」の五つの参詣道が発達しました。
  横手道は、岡山県真庭郡川上村延助から内海峠を越えて大山西麓をほぼ水平に南北に進んで大山寺境内へと通ずる古道です。横方向(水平)に進むことから、この名がついたと言われています。
大山は、米子方面から望むと、富士にたとえられるような美しい円錐形です。しかし山容は複雑で、標高1729mの剣ケ峰を最高峰に数々の峰が連なり、北には険しい岩壁が屹立します。大山は見る方向によってまったく形が異なり、表情を変えるということに驚きました。


<桝水高原~天空リフト~恋人の聖地展望台>

桝水高原から見た大山は伯耆富士と言われるように富士山の形をしています。紅葉が見頃でとてもきれいでした。
     
    恋人の聖地展望台  
桝水高原から、紅葉を堪能しながらリフトに乗って展望台へ行きました。  
   
 
眼下に日本海や弓ケ浜、島根半島、中海や米子市内の景色を一望できました。 

<横手道>
横手道は、大山西麓の標高800 m前後のところをほぼ水平に南北に進みます。 大山中腹のブナやミズナラの林の中の緩やかな道を、道脇に立ち並ぶ一町地蔵を見ながら歩きました。
 
 
 石の大鳥居は、大山寺境内の西端に位置し、その結界を表しています。
     
    三輪平太の墓 
横手道の傍らには、一町地蔵が立ち並んでいます。首の切られたものもありました。  

<圓流院>

圓流院は、大山寺の支院として江戸時代に創建されました。老朽化による2009年の建て替えに伴い、境港市出身の水木しげるが描いた妖怪天井画が飾られ、妖怪と融合した珍しい寺として話題になっています。
    
 
   
水木しげる作の 妖怪画(108枚)が飾られています。 
   

<大山寺阿弥陀堂>

阿弥陀堂は、大山寺に現存する寺院の中では最古の建築物です。平安初期に創建、藤原期に建立され、1529年に山津波で倒壊しました。その後1552年、現在の場所に再建されたといわれる室町末期の建造物です。
    
 
   
利生水と利生地蔵  氷室  
昔、この地方は養蚕が盛んで、この氷室は、ここに降った雪を踏み固め、その中に蚕種を保存した所です。
<大山寺本堂>
大山寺は、 山岳信仰に帰依する修験道の修行道場として栄えました。平安時代以降、山岳信仰の仏教化が進むに連れて寺院が増え、最盛期には100を超える寺院と3000人以上の僧兵をかかえるほどでした。一大勢力として、比叡山、吉野山、高野山に劣らないほどの隆盛を極めていました。しかし、明治初期の神仏毀釈・廃仏毀釈をきっかけに衰退の一途をたどり、数多くあった寺も現在は4つの参拝堂と10の支院を残すのみとなりました。
    
 

<賽(サイ)の河原>
佐陀川の河原は、賽の河原とも言われています。賽の河原とは、この世と、あの世の境にある川「三途川」の河原とされています。北壁からくずれた石が無数に堆積し、中程に浅瀬の川が流れています。大山の北壁を見る絶好のポイントです。紅葉が見頃で絶景を堪能しました。
 賽の河原から見た大山は数々の峰が連なり険しい岸壁が見えます。 
 

<金門>
佐陀川の両岸には巨大岩石を半分に切ったかのような岸壁が向い合わせに目の前に立ちはだかります。岩壁そのものを神門に例え御金門と呼び、信仰の聖地として僧兵たちが修行に励んだ場所で、聖域の入口となっていました。
金門の紅葉は絶景でした。 

<大神山神社>
偉大な神のおわす山、大神岳(おおかみのたけ)と、古代の人々は大山のことをそう呼んで敬いました。その大山信仰の中心が古代より延々と続く大神山神社です。  
 
 
 拝殿    
   
 大神山神社に続く参道は自然石を敷きつめた石畳の長さが日本最長です。
   
神門…裏表が逆なので逆さ門とも呼ばれています。    
   
ナナカマドの紅葉が始まりました。   下山神社 
   
  宿泊したホテル大山しろがね 

(2015.10.28撮影)
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