酒田

  酒田は,江戸時代に大阪と蝦夷地(現在の北海道)を結び,米やニシンなどを各地に運んだ北前船と呼ばれた回船の中継港として大いに繁栄しました。酒田の港は,最上川を行き来する川船も多数集まり,「西の堺,東の酒田」と言われるほどの賑わいだったと言います。北前船がもたらした繁栄によって,酒田には「豪商」と呼ばれる家が多数ありました。その中でも最も有名なのが,日本一の大地主と名高い本間家です。庄内藩を治めた藩主(酒井氏)よりも裕福だったと言われています。 

<日和山公園>

 日和山公園は,酒田市の西方海岸線沿いに位置し,酒田港や最上川,日本海が一望でき遠く飛島を望む ことができる公園です。江戸時代河村瑞賢が日和山に米の積出しの米置場を設けたことに始まり,西廻航路で酒田から江戸まで千石船で米を運び酒田港繁栄の基礎となった地です。公園内には,日本最古の白亜六角灯台,木造洋風医院造り,修景池に浮かぶ千石船など歴史的背景の施設や桜並木があります。
    
 
千石船の再現(実物の2分の1)   
    
 
白亜六角灯台  酒田港を一望できます。  日本海を見渡せます。 
    
 
常夜灯  日本最古の方角石  
   
29基の文学碑が点在します。  松尾芭蕉  河村瑞賢 

<日枝大神社

    
 
<相馬樓>
  相馬樓は,江戸時代から酒田を代表する料亭であった「相馬屋」を改装し,平成12年3月に開樓たものです。修復された相馬樓は,1階の20畳部屋を「茶房くつろぎ処」とし,2階の大広間は舞娘さんの踊りとお食事を楽しむ演舞場に,また,かつての厨房は酒田舞娘のけいこ場となっています。竹久夢二美術館も併設されています。
    
 

<山居倉庫>

  山居倉庫は明治初年の地租改正で農政が混乱したため,明治26年(1893)に酒田米穀取引所の付属倉庫として建てられたのが始まりです。舟への積み下ろしの利便性をも兼ね備え新井田川の側に建てられています。白壁,土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)です。夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し,内部の湿気防止には二重屋根にするなど,自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として,現在も現役の農業倉庫です。
    
 
  二重屋根 
    
 
    
 
小鵜飼船   

(2014.4.22撮影)
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