小山城

  小山城は、鎌倉時代に関東の武将・小山七郎朝光が砦を築いたのが最初と言われています。今川義元が織田信長に敗れ、この地域は徳川氏と武田氏の激しい戦いの場となりました。武田信玄は遠江に進出し、その足がかりとして砦を築き、1571年に城郭を備えて名付けたのが小山城の起こりです。長篠の合戦で武田氏は大敗し、1582年に武田氏は小山城に火を放ち、甲州へ落ち延びたのちに滅亡し、小山城は廃城となりました。 
現在の小山城は能満寺山公園として整備され、1987年に物見台があったとされる三の丸跡に犬山城天守をモデルにした模擬天守「展望台小山城」が建設されました。
    
 
模擬天守「展望台小山城」は、3層5階で、1、2階は史料展示室として町ゆかりの歴史史料や甲冑などが展示されています。
    
 
展望台から富士山が見えました。   
5階は展望台となっていて、360°を見渡せ、晴天時には南アルプス連峰や富士山、御前崎の海岸線、駿河湾までもが遠望できます。
    
三日月堀 
 
  地形図の模型
小山城は、舌状台地の先端部に築かれ、三方が小高い崖となっていて、台地に続く西側には3重もの空堀が構築されました。復元された三日月堀が展望台からも見えました。これは甲州流軍楽の築城法に基づいてつくられたもので、武田氏の特徴とも言える堀です。 

能満寺

能満寺は、1262年創建の臨済宗妙心寺派の古刹で、小山城のある能満寺山の麓にあります。
能満寺の本堂前には、国指定の天然記念物になっている樹齢1000年と言われるソテツがあります。995年頃、安倍晴明が中国から持ち帰り、植えたものとされます。高さ約6m、枝数は約90本もあり、静岡市にある「龍華寺のソテツ」、大阪にある「妙国寺のソテツ」と並び、「日本三大ソテツ」として知られています。 
    
 
  
山門  男坂  
小山城には能満寺の山門から入り、能満寺の境内を通り、男坂を登って行きました。 
  
虚空蔵尊 
 
  つり鐘
(2022.2.22撮影)
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