川越遺跡

  川越し遺跡は正式には「島田宿大井川川越遺跡」と言います。江戸時代、幕府により架橋、通船を禁じられていた東海道最大の難所、大井川は川越人足たちの手を借りなければ渡ることができず、川越遺跡周辺は大変賑わっていました。島田宿の川越しの拠点となったこの地は、当時の町並みが復元・保存され江戸時代の情緒を残しています。
  
徳川家康は、東海道に宿駅伝馬制度を設け街道の整備をしましたが、大井川、安倍川など6つの川には橋を架けず徒歩での通行と定めました。大井川は東海道最大の難所で、増水のため川留めになると旅人は水の引くのを何日も待つことがありました。 
    
八重枠稲荷神社 
 
   島田大堤 
島田大堤は、大井川の氾濫から島田宿などを守る目的で整備された治水目的の堤です。1604年の「慶長の大洪水」にて、これまでの川除堤が決壊したのを受け、1644年頃までに整備されました。
   
 
川会所  
川会所(かわかいしょ)は、川越しの料金を決めて川札を売る場所です。大井川を渡るには、川札を川会所で買い、川越し人足に渡して人足の肩や蓮台に乗り、川を越しました。川札の値段は、毎日川幅と深さを測って定められました。
    
 
川越しは明治維新まで続けられていましたが、明治3年(1870)に大井川の通船や架橋が許可されたことに伴い廃止されました。 人足たちの集合場所が一番宿、二番宿と呼ばれる番屋であり、年輩者になって川越業務を直接やらなくなった人たちが集まった立会宿や仲間の宿、川札をお金に変えた札場などがありました。
   
 
  札場 
一日の川越しが終了すると、それぞれの番宿で、各組の陸取り(おかとり)などが人足の川札を回収し、札場で現金に替えて人足たちに賃金として分配していました。 
   
 
仲間の宿   
仲間の宿は陸取りなどの詰所であり、会合や親睦の場としても利用されていたと言われています。年輩者になって川越業務を直接やらなくなった人たちが集まった場所です。
   
 
島田市博物館分館  三番宿 
番宿は、川越人足の詰所です。川越人足は一から十までの組に分けられ、各番宿にて待機していました。現在は三番宿、十番宿を公開しています。
   
 
十番宿  川越人足 

蓬莱橋

大井川にかかる蓬莱橋は全長897.4m、通行幅2.4mの昔懐かしい木造歩道橋で、1997年に「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されました。 

蓬莱橋は牧之原台地の開墾のため、明治12(1879)年に架けられた農業用の橋です。 
    
 
 蓬莱橋は、渡るのに料金がかかる全国的にも珍しい「賃取り橋」でもあります。料金は、大人100円、小学生10円です。

(2022.2.22撮影)
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