方広寺(浜松)

  方広寺は、臨済宗方広寺派の大本山です。1371年に無文元選禅師が、当地を治めていた豪族奥山六郎次郎朝藤より土地と建物を寄進されて方広寺を開きました。元選禅師は、この地が、かつて訪れたことがある中国の天台山方広寺の風景に似ていることから、この寺を方広寺と名付けました。方広寺は60haの寺域で、本堂、三重の塔など60余棟の伽藍があります。その中の半僧坊真殿は、中国から帰国途上の開山禅師を海難の危機から救い、寺の守護を誓ったといわれる方広寺の鎮守「奥山半僧坊大権現」を祀っています。

【山門】

朱塗りの山門は、足利紫山老師の代に再建されたもので、地形に合わせて小ぶりに造られてます。

   
総門 
 
山門(赤門)  虎豹岩 

   
出世弁財天  
 
浜名湖の「奥浜名湖エリア」にある、初山宝林寺・龍潭寺・方広寺・摩訶耶寺・大福寺の五つの寺院の総称を「湖北五山」といいます。 

【三重の塔】

方広寺の三重の塔は、京都の篤志家山口玄洞氏が寄付し、建立したものです。山口氏は、大阪でラシャ問屋を営み、第二次世界大戦中に財を成しましたが、英宗老師という方の忠告で好景気のうちに商売を手控えました。後の終戦と共にあちこちで倒産者が相次ぐ中、忠告を守った山口氏は倒産の難をまぬがれ、その後も社業が発展したという故事から、この三重の塔は、「倒産よけの塔」として、全国の財界人がよくお参りにくる場所になりました。 
 

【亀背橋】

「亀背」とは、亀の背のように湾曲した形のことです。形が亀の背に似ていることから亀背橋と名づけられました。境内の渓谷を跨ぐ屋根の付いた赤いアーチ橋の形は特徴的です。
 
   
 

【本堂】

本堂は1918年に再建された、間口32m、奥行き27mで堂々とした大本山の威容を存分に示しています。
 
 
本堂の中央の屋根の下には扁額が掲げられていて、「深奥山」と書かれています。この扁額は幕末、明治時代に活躍した山岡鉄舟が書いたとされるものです。 
    
拝観の入口です。 
 
 
木造釈迦如来 及 両脇侍坐像   
釈迦如來を中心に、向かって右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が並ぶ釈迦三尊像です。1352年院吉、院広、院遵作です。金泥の彩色の華麗さ優美さと、釈迦が宝冠を頂いている珍しい姿です。 

【観音堂】

観音菩薩像を安置しています。小規模ですが、均整の取れた外観で境内景観を引き締めています。 
 
 

【開山堂】

開山円明大師の尊像を安置しています。
 

【らかんの庭】

大本山方広寺の境内には「五百羅漢」と呼ばれる石像が点在しています。釈迦入滅後、教典編纂の第一結集、第四結集に500名の仏弟子達が集まったことに由来します。
 
 
大本山方広寺の五百羅漢像を見て回ると、必ず自分に似た像が見つかると言われています。  

【上天台舎利殿】
本堂裏の高所に建てられた舎利殿は京都銀閣寺風二層式で、釈迦の歯の一部がスリランカ仏歯寺から奉納されました。
   
 

<奥山半僧坊>

鎮守半僧坊大権現をを祀っています。半僧坊は開山の無文が中国の元から帰国する際、悪天候の中、無文の乗った船を守護したとされています。後年、無文元選が方広寺に入寺した時、また現れ、弟子になることを許され、方広寺を護る鎮守となりました。
 
 
   
 
昇り龍下り龍の一木彫の彫刻です。眼光鋭く今にも動き出しそうな躍動感がありました。
 
 
縁結びの神として慕われている大黒様は明治時代に仏師の岩五郎が掘った一木造りです。 
   
 
  虎月岩 

【鐘楼】

 
 
鐘楼  本堂の大鬼瓦 

【七尊菩薩堂】

七尊菩薩堂は、1401年建立の棟札があり、鎌倉末期の建築様式を今に伝えるお堂で、昭和29年に国指定重要文化財となっています。この堂は、七尊の名が示すように、富士浅間大菩薩、春日大明神、伊勢大神宮、稲荷大明神、八幡大菩薩、梅宮大明神、北野天満大自在天神の七神を合わせて祀る鎮守堂で、静岡県下最古の木造建築物です。
 
 
七尊菩薩堂   

(2022.2.21撮影)
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