諏訪大社下社

  諏訪大社は、諏訪湖を挟んで上社と下社があり、下社(秋宮・春宮)は諏訪湖の北側にあります。半年に一度、8月1日に春宮から秋宮へ、2月1日には秋宮から春宮へ神様を遷す神事、遷座祭が行われますが、これは全国的にもとても珍しいことです。特に8月の遷座祭の前夜には宵祭りが行われ、長持ちや神輿などのパレードが華やかに行われるほか、遷座祭当日には、柴舟とよばれる長さ約10メートル、重さ約5トンもの巨大な舟を曳行する「お舟祭り」が開催され、町中が熱気に包まれます。 

<諏訪大社下社秋宮>

毎年8月から翌1月に祭神が祀られているため、秋宮とよばれています。湧出地で、境内にも御神湯があります。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われました。 
諏訪大社には本殿はなく、自然そのものをご神体とする古い信仰の形をとどめているのが特徴で、 春宮ではスギの古木を、秋宮はイチイの古木をご神木としています。これは、自然物・自然現象を敬い神格化する古代の信仰「自然崇拝」の形をとどめているためです。  
幣拝殿 
幣拝殿の左右の建物が片拝殿で、あわせて重要文化財に指定されています。現在の建物は1781年に落成されました。
    
さざれ石 
 
 一之御柱  
     
二之御柱  三之御柱  四之御柱 
御柱は社殿の外側の四隅に立てられています。4本の御柱が結界を作って社殿を守っています。
 
幣拝殿  宝殿 
拝殿は、参拝のための建物です。幣殿は、貨幣の弊の字が見られるように、紙に関係する場所です。つまり、紙などでできたぬさを神様に備える場です。その2つを兼ねたのが幣拝殿です。
宝殿の奥が御神座とも相殿とも言われ、御神木をお祀りする下社の最も重要な場所です。上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残しています。
    
御神湯 
 
神楽殿  根入りの杉 
神楽殿は、神楽(笛や太鼓などの音楽)を神様に奉納するための建物です。 根入りの杉は、ご神木で樹齢が800年もあります。
下社のしめ縄の新調は御柱祭の前年のみ行います。新たな装いで御柱年を迎えることができるよう、下社の氏子でつくる「諏訪大社大注連縄奉献会」の約50人が作業しました。



<諏訪大社下社春宮>
下社の2宮(春宮・秋宮)のうち、最初に鎮座したのは春宮とされています。その後建て替えが計画された際、高島藩より両社に同じ図面が与えられたため、ほぼ同時期にほぼ同じ構造を持つ社殿が諏訪地方の2つの異なる流派の宮大工集団によって建てられ、両宮は彫刻で技が競われたとされています。 
幣拝殿 
幣拝殿は、大隅流宮大工たちの手により、獅子・鶏・竹・龍などの彫刻が施されています。これは、下社春宮社殿の特徴です。
 
中央奥に見えるのが三之御柱 
 
大鳥居  中央奥に見えるのが四之御柱 
下社春宮にも、弊拝殿を囲む四柱の御柱があります。山林に囲まれているため、三之御柱と四之御柱は近くには行けず、遠くから撮影しました。 
神楽殿、右が一之御柱、左が二之御柱 

<万治の石仏>
春宮に遺石の大鳥居を奉納するよう命を受けた石工が石材にノミを打ち入れた際、その石から血が流れ出て、驚き恐れた石工が大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立したのが万治の石仏です。万治3年(西暦1660年)と刻まれていることから、万治の石仏と称されました。 
万治の石仏は、岡本太郎が、「世界中歩いているが、こんなに面白いものは見たことがない」と絶賛し、講演又は雑誌等で全国に紹介されたことから有名になりました。 
 
浮島橋 
 
巨大な自然石の胴体に対してアンバランスな頭がちょこんと乗るユーモラスな風貌です。

(2022.8.30撮影)

HOME