観音原の石仏群(白馬村)

 長野県北安曇郡 白馬村、 岩岳スキー場下の切久保旅館街を通る旧街道が「塩の道」と呼ばれる千国街道(ちくにかいどう)です。新田民宿街への途中に位置するのが観音原で、江戸時代後期、文化年間(1804年〜1818年)に高遠の石工が刻んだ 観音原石仏群( 観音原百体観音)があります 
観音原石仏群は、西国三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所の観音霊場の石体が一同に全て揃う白馬村の指定石造文化財です。白馬村における観音信仰の深さと広がりを示す代表的な聖地です。
石造物はそれぞれの霊場の本尊をかたどって彫られたもので、広い四角な芝原の周囲に並んでいます。石仏には一体ごとに施主名が刻まれています。一説によれば、これらの石仏は高遠石工の手によるものと言われています。 
 
北側に坂東33体、西側には弘法大師像を中心に西国33体、南側に秩父34体を配し、東側に馬頭観音など70余体、計187体の石仏が立ち並びます。 
観音原石仏群は天保年間に開かれ、1080坪の芝生の四方に計187体の石仏が並び、その石仏を覆いかぶさるようにして松の木が植えられています。戦時中には畑として使用されました。この石仏群は、もともと100体の観音が設置されていましたが、その後、石仏の増設や移設により合計187体の石仏群となりました。
   
百体観音を拝むことで、板東三十三番、西国三十三番、秩父三十四番の札所を巡ったのと同じ功徳があるとされ、街道時代にはここに参拝する里人も多かったと思われます。
 


<石碑群>
塩の道千石街道の白馬小谷地方は豪雪地帯である上に険路が多く、物資の輸送は難渋を極めました。そのため石仏も多く見られます。石碑群には、大日如来・弥勒菩薩・千手観音・為仏果菩薩・·馬頭観音など四十 基がありました。
 
 
 
 
石碑群の横には足湯と薬師堂がありました。 




<飯田十三仏堂>
飯田十三仏堂は、道の駅白馬の敷地内にあります。今は、修築されたまだ新しいお堂となっていますが、お堂のなかには十三仏を含めて17基の精巧な仏像が安置されています。十三仏とは、人の死後、真の成仏まで7日ごとに死者の魂に合計13回も審判を与える冥界(仏界)の仏や王たちのことで、塩の道の沿道にはいくつか十王堂があります。
 
(2024.7.29撮影)
HOME