村上海賊ミュージアム

 「村上水軍博物館」は、2020年4月1日から館名を変更し、「村上海賊ミュージアム」になりました。 かつて日本最大の海賊とも称された村上海賊の歴史・文化を紹介した博物館です。能島村上家の貴重な品々が展示され、水軍の歴史・文化に触れることのできる、日本で唯一の水軍博物館です。 
村上海賊ミュージアムと村上元吉像 
村上海賊(村上水軍)は、14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族です。能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり、連携と離反を繰り返しつつも、互いに強い同族意識を持っていました。彼らは、海の難所である芸予諸島で育まれた海上機動力を背景に、戦国時代になると瀬戸内海の広い海域を支配し、国内の軍事・政治や海運の動向をも左右しました。来島城を本拠とする来島村上氏は伊予国守護の河野氏の重臣として活動しました。因島村上氏は、周防国の大内氏に仕え、のちに中国地方の覇権を握った毛利氏の有力な海の勢力となりました。能島村上氏は三家の中でもっとも独立性が強いとされ、独自の姿勢を貫きました。  
 
 
小早船   
小早船は、村上海賊の機動力として活躍した小型の船です。この船は、日本一の水軍レース大会を目指し、平成2年(1990)に宮窪町が復元を行った第1号船です。
 
 
  村上景親像 
戦国時代、瀬戸内海を縦横無尽に跋扈した村上海賊ですが、その生業は“海賊”という言葉からは程遠く、海上の要衝に関所を構えて水先案内人の派遣や海上警護などを行い、海の安全を守る集団だったとされます。彼らが瀬戸内で栄えた背景に、海の難所といわれる最大10ノット(時速約18km)にもなる激しい潮流がありました。複雑な地形や潮目を読む力に長けた村上海賊の力が求められたのです。昨今では、彼らを「村上水軍」ではなく、「村上海賊」と呼ぶことが多くなりました。「水軍」は、江戸時代以降に用いられた呼称ですが、「水軍」では彼らの多様な活動を表現できないため、最近では当時の古文書などに見える「海賊」と言う呼称を用いることが多くなってきました。
 
かつての能島城 猩々陣羽織 
能島城は、能島と鯛崎島の2つの島全体を城とした能島村上家の本拠地でした。
村上水軍の家紋が入った真っ赤な猩々陣羽織が展示されていました。猩々とは、中国古来の想像上の動物です。
 
宣教師ルイス・フロイス 
 
日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、能島村上氏を‟日本最大の海賊“と称しました。 
能島には能島城の城跡が残っています。背後は伯方・大島大橋 

(2022.4.26撮影)
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