松山城

 松山城は、松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立ち、別名 金亀城、勝山城ともいいます。賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が1602年から築城を開始し、約四半世紀をかけて完成しました。松山城を最初に築いたのは加藤嘉明ですが、その後転封し、1632年に松平氏が入りました。
松山市は、夏目漱石の「坊っちゃん」や司馬遼太郎の「坂の上の雲」の舞台として有名な、四国有数の一大観光地です。街の中心部、標高約132mの「勝山」山頂に築かれたのが、松山城です。
「松山や 秋より高き 天守閣」と正岡子規が俳句に詠んだ松山城は、麓の城下町からも見上げることのできる松山のシンボルとして、古くから人々に親しまれ続けてきました。 
 
加藤嘉明像 
 
松山城本丸へは、歩いて登る4つのルートがありますが、ロープウェイまたはリフトを利用することもできます。ロープウェイは約3分、リフトなら約6分で、8合目に位置する長者ケ平に到着します。そこから徒歩10分ほどで天守に到着します。
    
待合番所跡 
 
大手門跡   
松山城は、国内に12しかない江戸時代までに建造された天守を持つ城の一つです。 「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあります。堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本の歴史公園100選」の指定も受けています。  
 
美しい曲線を見せる扇勾配や、迷路のように曲がって敵を防ぐ、高さ14mの屏風折など、壮大な石垣が続きます。
   
 
  戸無門  
最初に戸無門をくぐりました。これから天守まで非常に多くの門をくぐることになり、守りの堅さに驚きました。戸無門は江戸時代に建造されましたが、当時から門扉がなく、敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な意味合いで設置されたとみられています。
    
筒井門
 
右が筒井門、左が隠門  隠門 
城の防備を固める上で、最も重要堅固な意味合いを持つのが筒井門と隠門です。戸無門を通過して、目に付くのは筒井門で、その奥にある隠門は分かり難くしています。これは、侵入者の注意を筒井門に向けさせ、そこを破ろうとする敵を隠門から打ち出て、背後から襲う戦略とみられています。2つの門の上には続櫓があり、松山城の守りの堅牢さを象徴するものとなっています。 
   
 
 太鼓門 屏風折の石垣と乾櫓が見えました。 
太鼓門は、太鼓門南続櫓、太鼓門北続櫓、太鼓櫓、巽櫓が石垣上に続けて構築されていて、筒井門からの敵に備えています。
    
太鼓櫓 
 
本丸広場から見た天守   馬具櫓
松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちの一つで、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。 
    
一ノ門 
 
二ノ門  本壇の地図です。矢印の順路を進みました。 
一ノ門から本壇に入りました。一ノ門は天守に通じる本壇入口を守る門で、木割も大きく豪放な構えとなっています。形式は上方からの攻撃が容易な高麗門で、二ノ門との間は枡形という方形空間となっていて小天守・一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓の四方から攻撃できます。 
    
 三ノ門
 
正面が天守、左が小天守、右が一ノ門南櫓 葵の御紋
荘厳で気高い松山城の天守は、三重三階地下一階の層塔型です。現存十二天守の中で唯一、親藩・松平家による建築で、そのことを物語る「葵の御紋」の瓦も見られます。 
  
小天守
 鉄筋門 
筋鉄門は櫓門で、天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。この門の櫓は小天守と天守のをつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。 
    
玄関、玄関多聞櫓   
 
  天守入口から入りました。
天守入口から入り、天守や小天守の中を見学しました。松山城は門・櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城です。
 
天守の中は展示室になっていました。築城時のままの急な階段があり、上り下りが大変でした。階段の角度は約55度もあり、はしごのようでした。
 
天守から小天守へ 
 小天守から見た天守 小天守の階段 
松山城の大きな特徴して、天守、小天守、櫓を四方に配置し渡櫓で繋ぐ「連立式天守」と呼ばれる建築様式があります。敵を惑わす複雑な構造で、防御力が高い造りです。繋がっているため、渡櫓を歩いて天守から小天守に移動できました。
  
小天守最上階 
石落とし  小天守最上階から見た風景  
小天守の最上階に上がってみました。本丸公園などが一望できました。いろいろな箇所で鉄砲や弓を用いて敵を撃退するための、「石落とし」が見られました。複雑な構造が敵の行く手を阻む連立式天守という仕組みだけでなく、こうした攻撃のための設備からも、難攻不落の要塞・松山城の防御力の高さが窺い知れます。 
 
小天守から天守に移動 
天守最上階  急な階段 
天守の最上階に上がってみました。松山城は市内中心部にあるので、天守の最上階からは松山平野や瀬戸内海などが見渡せます。
 
 
 瀬戸内海が見えました。   
松山城天守の最上階は、360度松山を見渡せる絶景の展望台となっています。南側には、松山城の本丸広場が見下ろせ、その向こうには四国有数の都市・松山の街並みが広がります。 
 
大天守最上階から小天守のしゃちほこと瓦の「葵の御紋」が見えます。標高約132mの勝山山頂に建つ松山城は立地的にも見晴らしがよく、往時には瀬戸内海の様子を監視できたと言われています。

  
仕切門内塀 
内門、仕切門を通って外に出ました。 
 
仕切門 
天守をふり返りました。  天神櫓 
現在残る天守は落雷による焼失のあと、1854年に松平氏によって再建されたものです。松平氏は親藩のため、瓦などに徳川一門の家紋である「丸に三つ葉葵」(通称葵の御紋)が使われています。現存天守で親藩が築いたお城は松山城だけです。  

(2022.4.25撮影)
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