出石

 出石(いずし)は、兵庫県豊岡市にある地区で、かつての出石城の城下町です。城下町として整備された町割が碁盤の目状であることなどから、但馬の小京都と呼ばれています。
 室町時代、守護大名山名氏の居城であった有子山城の南麓に1604年、外様大名小出吉英により出石城とその城下町が築かれました。江戸時代は仙石家の城下町となって発展しましたが、江戸時代三大お家騒動の仙石騒動の舞台でもあります。
 
 
辰鼓楼がシンボル的存在です。  
辰鼓楼は、明治4 年(1871)に旧三の丸大手門脇の櫓台に建設され、辰の刻(7時から9時)の城主登城を知らせる太鼓を叩く櫓でした。明治14 年に医師、池口忠恕氏が大時計を寄贈してからは、時計台として親しまれ、今では3 代目の時計が時を刻み続けています。  
 
 
歌舞伎などの興行を行う永楽館ののぼり旗が立っていて活気のある町並みでした。
 
 
城下町らしい風情のある町並みでした。 
 
豊岡かばんの店です。 
 
出石そばの店がたくさんありました。 
出石そばは、江戸時代中期の1706年に信州上田藩の仙石氏がお国替えで出石藩にやって来た際、そば職人をお供に連れてきたのが始まりだといわれています。幕末の頃には屋台で出されるようになり、持ち運びが便利なようにと手塩皿に蕎麦を盛ったことから、「出石皿そば」として、この地域独特の様式になりました。 

<出石家老屋敷>
出石家老屋敷は白亜の土塀と長屋門のある屋敷で、出石城の内堀の中にありました。家老級の居住として使われていたものです。、江戸時代の仙石騒動の中心人物・仙石左京の屋敷があった場所のため「左京屋敷」とも呼ばれています。 
 
 
外観は平屋建に見えますが、内部には隠し階段が仕組まれており、2階建です。 
 
 
2階から見た町並みです。  大名行列諸道具などが展示されていました。 

<出石城>
出石城は1604年に小出吉英によって山頂の城を廃して築かれたもので、一国一城制による但馬唯一の城です。有子山麓に上から稲荷郭、本丸、二の丸、二の丸下の櫓、三の丸と梯子を立てかけたように段状に配した梯廓式で築かれました。城主は小出氏が九代、松平氏一代、仙石氏七代と続き、明治の版籍奉還まで270年間、五万八千石の本城として、また但馬第一の藩として威容を誇りました。
 
 
 
登城橋と登城門です。  西隅櫓です。 
     
本丸跡です。  東隅櫓です。 石垣が残っています。 
 
 
37もの朱色の鳥居があります。最上壇の稲荷郭には城の鎮守稲荷神社を祠っています。 
157段の石段を登った最上段の稲荷台からは城下を見渡すことができました。

<有子山城>
 1574年に、山名祐豊が標高321mの有子山山頂を天守とする有子山城を築き、本拠を移しました。しかし、毛利氏方についたため、1580年、羽柴秀吉による第二次但馬征伐で有子山城は落城し、但馬国山名氏は滅亡しました。
城跡への登り口です。  有子山山頂に城跡があります。  ドローンで撮影した写真が展示されていました。 
(2019.11.5撮影)
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