信貴山朝護孫子寺

  信貴山の由来は1400年昔、聖徳太子が物部守屋討伐を祈願し、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天から、戦いに勝つためのヒントを授り、見事討伐に成功したことから、「信ずべき山、貴ぶべき山」信貴山と名づけられました。その後ここにお寺が建てられ、寅の寺として、寅の日に縁日が催されるほど賑わっていたそうです。
    
 
2010年は,寅年であり,平城京遷都1300年ということもあり,寅の寺である信貴山朝護孫子寺は,多くの人が訪れ,中に入るために行列で,寒い中,長時間並ぶこととなりました。
   
 
 参道は大勢の人で埋め尽くされていました。
   
玉蔵院     
醍醐天皇の時代(910年)、天皇の病気回復を命蓮上人が毘沙門天王に祈願すると、 たちまち全快したことから、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として『朝護孫子寺』と呼ばれるようになりました。 
    
 
本堂   
本堂の舞台からは大和平野が一望できる素晴らしい眺めを楽しむことができます。 
   
 
 成福院   本坊
    
 
山伏による祈願が行われていました。  かやの木稲荷 

(2010,1,1撮影)
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