興福寺

 興福寺は、山背国「山階寺」が起源であり、669年に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、造営したものと伝えられています。その後、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされ、さらに、平城遷都の際、710年に藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。
五重塔と東金堂 
 
五重塔  三重塔 
五重塔は、730年興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后が建立しました。その後5回の焼失・再建をへて、1426年頃再建された日本で2番目に高い塔です。
三重塔は、1143年(平安時代後期)に建てられましたが、平氏による焼討ちで焼け落ちました。しかし、鎌倉前期に再建されました。平安時代の美しさをいまに伝えている貴重な建物です。

 
 
  東金堂 
東金堂は、726年(奈良時代前期)に聖武天皇が、元正天皇の病気回復を願って建てられたといわれています。たびたび火災にあい、いまの建物は、1415年(室町時代中期)5度目に再建されたもので、最初の天平時代の和様の姿を今に伝えています。
 
南円堂  北円堂 
南円堂は、813年に藤原冬嗣が父 内麻呂追善の為に建てた八角形のお堂です。日本で最大の八角堂です。
北円堂は、721年に藤原不比等の1周忌に際して元明上皇と元正天皇が創建させたもので、日本で一番美しい八角堂といわれています。
猿沢池から見た五重塔 

(2005、1、2撮影)
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