高松塚古墳

高松塚古墳は、藤原京期(694年〜710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳です。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになりました。 
    
 
高松塚古墳は2段式の円墳であることがよくわかります。   
    
 
星宿の広場から高松塚古墳の全景写真が撮れました。 
高松塚古墳から見た飛鳥の風景です。 
    
 

高松塚壁画館

高松塚壁画館は特別史跡「高松塚古墳」に隣接し、古墳内部を再現しています。壁画発見当初の極彩色「飛鳥美人」をはじめ、貴重な国宝壁画全体を再現し、1300年の時空を超えたその素晴らしさを紹介しています。 
    
 
高松塚古墳の壁画は、内部正面北壁に玄武,東西の壁中央に青龍と白虎,それをはさんで4人ずつ計16人の男女の群像,また天井には星宿図が極彩色で描かれています。
高松塚壁画館のパンフより
(2020.11.30撮影)

高松塚古墳2002
2002年10月に高松塚古墳を訪れたときは、まだ整備されず、林の中にありました。 
 
 

(2002,10,12撮影)

中尾山古墳

中尾山古墳は、高松塚古墳から北200mのところにある8世紀初頭の小規模な古墳ですが、墳丘が3段構造の八角墳で、石敷きが3重に取り囲んでいたことが分かりました。そのため、文武天皇(683〜707年)陵説が有力になっています。八角墳は7世紀以降の天皇陵にみられる形です。
2020年11月の発掘調査で墳丘が八角形の3段(高さ4メートル以上)であったことが確認されました。中段、下段は縁に花こう岩を垂直に積んでいて、下段の1辺は約8メートルです。墳丘を囲む八角形の石敷きでは、新たに3重目も発見され、3重目も八角形とみられます。 
   
 
訪れたのは、発掘調査の公開の次の日で、発掘部分にはビニールシートがかぶせられていました。 
   
 
石室も改めて発掘され、火葬骨を入れた容器が安置されていたと推定されていますが、既に盗掘されており、副葬品も見つかっていません。石室は計10石から成る「横口式石槨」で、内面に塗られた朱も確認されています。 

(2020.11.30撮影)
HOME