熊本城

  日本三名城の一つに数えられる熊本城は、1588年、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。
大小天守閣(左が大天守閣、右が小天守閣) 
大天守閣は、石垣の上から高さ約29.5m外観3層、内部6階地下1階です。小天守閣は、石垣の上から高さ19m外観2層、内部4階地下1階です。現在の大小天守閣は西南戦争の際に天守閣が焼失する以前の古写真などをもとに1960年に再建されたものです。
 
天守閣からの西側の展望です。山並みと市街地、手前に二の丸広場が見えました。 
    
宇土櫓  
本丸の西北側にある宇土櫓(うとやぐら)は、築城当時の姿を保っている唯一の多重櫓です。3重5階地下1階のつくりで天守に匹敵する規模と構造のため、「第三の天守」とも呼ばれます。 
宇土櫓、小天守閣、大天守閣が並んで撮影できるポイントがありました。 
天守閣から見た本丸御殿と市街地です。 

<本丸御殿>
熊本城の本丸御殿は、発掘調査から竣工まで9年の歳月と54億円を投じて復元されました。地下1階、地上3階建の木造で復元されていて、木材の色合いから豪華な障壁画まで、築城当時の雰囲気を見て楽しむことができます。
    
 
本丸御殿は、熊本城築城400年を記念して平成20(2008)年、往時の雰囲気を体感できる、絢爛豪華な建物として復元されました。
   
   闇り通路  
闇り通路(くらがりつうろ)は、本丸御殿の床下にある石垣でできた地下通路です。地下通路は、日本全国の御殿建築のなかでも異例のもので、御殿への正式な入口も地下にあります。熊本城の防衛を知る見どころのひとつでもあります。 
<本丸御殿内部>
華やかな大名文化の雰囲気が漂う本丸御殿大広間のなかでも最も格式が高いのが「昭君之間」です。 
 
昭君之間   
鉤型の上段を持つ昭君之間の壁には、狩野派の絵師によって中国前漢の元帝の時代の悲劇の美女「王昭君」の故事が描かれ、天井には四季折々の植物が描かれていました。 
 
本丸御殿は、絵図・古写真や古文書、発掘調査で出てきたものをもとに、建築当時の趣を復元しています。
 
 
 
  大広間  
   
古い文献や写真などをもとに細部まで忠実に再現しています。  数寄屋造りの茶室 

(2010.12.23撮影)
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