東寺

 東寺は、正式名を教王護国寺といい、東寺真言宗の総本山です。平安時代初期の796年に桓武天皇の発願により、西寺とともに国家鎮護の官寺として、都の入口である羅城門の東に創建されました。平安京が遷都されたとき、寺院の建立は、東寺と西寺しか許されませんでした。西寺も羅城門も、時の流れに消え、現存する平安京の遺構は、唯一、東寺だけになりました。
東大寺の五重塔は、高さ54.8メートルで、木造の塔としては日本一の高さを誇ります。 
 
五重塔の初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像を描き、須弥壇には心柱を中心にして金剛界四仏像と八大菩薩像を安置しています。真言密教の中心尊の大日如来の像はここにはなく、心柱を大日如来とみなしています。  
   
東寺の五重塔は、東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔です。車で走っていても新幹線からもよく見えます。
 
弘法大師空海に東寺が下賜されたとき境内にあった建造物は金堂のみだったと伝えられています。826年に空海は五重塔の建設に着手します。しかし、五重塔が完成したのは空海が没してから50年ほど経ってからのことでした。
 
創建時の塔は1055年の落雷で焼失してしまいました。その後も3度焼失しそのたびに再建され、現在の五重塔は、1644年に徳川家光が寄進したものです。何度も落雷によって焼失したため、被雷対策が取られました。現在は塔の先端に避雷針があります。 
 
 
瓢箪池  東大門(不開門) 
南北朝時代、足利尊氏は東寺に陣を置き、新田義貞と戦火を交え、足利軍は、東大門の扉を固く閉ざし危機を脱したといわれます。このことから東大門は、別名、不開門と呼ばれています。 
 
 
金堂  金堂内薬師三尊・十二神将 
   
 講堂内梵天像  
東寺の境内は、東西255メートル、南北515メートルの長方形です。その寺域のなかで大伽藍が建っているエリアは、東西南北とも255メートルでほぼ正方形です。その中心に講堂は位置しています。
 
 講堂
 
不二桜  講堂立体曼荼羅 
    
食堂 
 
十一面観音菩薩立像   
境内の南から北へ、金堂、講堂、食堂とまっすぐに大伽藍が並んでいます。この配置仏法僧を表しています。金堂には本尊の「仏」、講堂は密教の教え「法」。そして、食堂が「僧」で、生活のなかに修行を見いだす所です。 

<宝物館>
東寺は、弘法大師空海以来の密教美術の宝庫であり、国宝や重要文化財は、約80件2万点以上にものぼる寺宝を所蔵しています。宝物館では、寺宝の保存・管理・調査・整理を行いながら、これらの寺宝の中から折々のテーマに沿った特別展を、毎年春秋2回開催しています。 
 
 
   
2022年春の特別公開では、宝物館の二間観音像などが公開されていました。 


<西院>
西院は、弘法大師 空海が住房としていた場所です。
 
 
太師堂(西院御影堂)  大日堂 
ここは1つの建物で前堂と後堂に分かれていて前にも後ろにも参拝する場所があります。前堂には弘法大師坐像が祀られていて、後堂には秘仏である大師の不動明王坐像が祀られています。 
 
鐘楼  
<観智院>
観智院は東寺一山の勧学院として代々学僧が居住していました。僧たちによって集められた密教の聖教類や文章などは、1万5千点以上にのぼります。東寺の塔頭の中で最も格式が高く、観智院の住持が東寺の別当職を兼ねていました。

 
五大虚空蔵菩薩 
 
  愛染明王 
本尊は、五大虚空蔵菩薩です。五尊は、それぞれ獅子、象、馬、孔雀、迦楼羅という鳥獣の上に鎮座しています。 
   
 
客殿の中には、宮本武蔵筆という「鷲の図」「竹林の図」があります。宮本武蔵がこの観智院にかくまわれていたときに描いたものです。

※撮影禁止の所はパンフレットの写真を撮影して掲載しました。

(2022.4.2撮影)

東寺2024
2024年の冬の京都非公開文化財特別公開で東寺五重塔内部が公開され、初層内部に入ることができました。 
紅梅や白梅、しだれ梅が開花して見頃でした。五重塔を背に、咲き誇る梅を楽しむことができました。 
河津桜と五重塔  五重塔内部(東寺ホームページより) 
(2024.3.3撮影)

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