泉涌寺塔頭2025
泉涌寺の山内には「泉涌寺(本坊)」と「9つの塔頭寺院」があり、すべての寺院が一般公開されています。
<雲龍院>
| 雲龍院は京都市東山区にある、真言宗泉涌寺派別格本山の寺院です。親寺である泉涌寺にある9つの塔頭の一つです。南北朝時代、後光厳天皇の勅願により出来たため、「別格本山」という他の塔頭よりも高い寺格を有しています。 |
| 北朝の天皇は泉涌寺に帰依していて、別院の雲龍院と龍華院を建立しました。ここでは天皇の安定を祈念する写経会が開催されました。のちに両院は合併し、寺名は雲龍院となり、本堂は龍華殿となりました。 |
| 書院悟りの間(左が悟りの窓、右が迷いの窓 ) |
| 正確な真円を描いてる「悟りの窓」は禅における悟りの境地を表していて、春には紅梅やハナカイドウを望むことができます。四角い窓は「迷いの窓」で人生における苦しみを象徴し「生老病死四苦八苦」を表しているといわれています。 |
| 雲龍院は南北朝時代の1372年(応安五年)、北朝方の第四代後光厳天皇の勅願寺として、真言宗の僧・竹巌聖皐(ちくがんしょうこう)を招き創建されました。 |
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| 衝立(ついたて)の龍 |
| 「衝立の龍」は、左からゆっくり見ていくと、動いているように大きさが変わって見えます。 |
| 蓮華の間 |
| 蓮華の間の障子窓をのぞくと、それぞれ4つのちがった景色を見ることができます。左の窓から順に、椿、灯籠、紅葉、松が見え、情緒を感じることができます。 |
| 霊明殿と石庭 |
| 霊明殿には後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇、東福門院・普明照院といった江戸時代の皇子・皇女の御尊牌が祀られています。石庭の砂の盛り方がとても立体的です。皇室ゆかりの寺ということで、菊の御紋を表した砂紋になっています。中央に立つ石灯籠は、江戸幕府15代将軍、徳川慶喜から寄進されたものです。 |
| 庭園の紅葉がとてもきれいです。奥に一本の杉の木があります。この杉の木は、かなり昔に落雷にあったそうで、現在は杉の木のてっぺんに避雷針が取り付けられているとのことです。 |
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| 悟りの窓 |
| 水琴窟 |
| 水琴窟には皇室ゆかりの菊紋が、かたどられています。竹筒に耳を当てると、水滴の落ちる音が聞こえます。 |
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| 本堂 龍華殿 | |
| 創建時の写経道場だった龍華殿が、雲龍院に併合されました。その写経道場が、この雲龍院の現在の本堂になりました。そのため本堂は今でも「龍華殿」と呼ばれています。本堂である龍華殿は、後光厳天皇を始めとする歴代天皇の位牌が奉安されている厳かな空間です。 |
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| 勅使門 |
| 勅使門は、天皇の使者である勅使のみが通ることを許された格式高い門です。普段は閉じられており、その重厚な佇まいが雲龍院の由緒正しさを物語っています。 |
| 大倫の間 |
| 大倫の間は四季折々の美しい庭園を眺めることができる広間です。大倫とは、人として行なうべき大切な道理です。大倫の間では、瞑想用の椅子や石が並べられています。京都の奥座敷にふさわしく、外の喧騒から一切離れた時間を過ごすことができます。 |
| 雲龍院山門 |
| 戒光寺は後掘河天皇のご勅願所として鎌倉時代中期に創建されました。応仁の乱で伽藍を消失しましたが、、全高10mの木像「丈六釈迦如来像」(通称 丈六さん)は奇跡的にその大火から免れました。何度かの移築後、1645年に後水尾天皇の発願により泉涌寺の塔頭となりました。 |
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| 戒光寺山門 | 釈迦如来立像(HPより) |
| 戒光寺の本尊は、運慶・湛慶父子の作である、光背と台座を含めると約10メートルある釈迦如来像です。釈迦の身長一丈六尺の等身大の巨像で、その身の丈から「丈六さん」と呼ばれています。木彫の釈迦如来立像としては世界最大です。首から上の病や悪しきことの身代わりになって下さる身代わり釈迦と言われています。 |
| 戒光寺本堂 |
| 釈迦如来立像の首の辺りから何か流れている様に見えるのは、血の跡だといわれており、これは後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首を掻かれた時に、この釈迦如来が身代わりにたたれ、ついたものだといわれています。このことから、身代わりのお釈迦様と呼ばれるようになりました。 |
| 弁財天社 |
| 戒光寺の門をくぐると、正面に美しい生け花を見ることができます。左に弁財天社があります。泉山七福神めぐり第二番・融通弁財天が祀られています。商売繁盛・芸能上達。金銭をはじめ、あらゆるものの融通を利かせ、願いをかなえてくれるといいます。 |
| 新善光寺は鎌倉時代1243年に後嵯峨天皇の勅願によって創建された真言宗の寺院です。本尊は信州善光寺(長野県)の阿弥陀如来の同心同体として藤井為行によって鋳造されました。後嵯峨天皇はこの仏像を宮中に安置し祈りを捧げていましたが、遠く信濃の善光寺まで参拝できない人々の為、一条大宮に値願を請し阿弥陀如来をお祀りする寺院を開山し、新善光寺と号されました。 |
| 応仁の乱(1467 〜)によって焼失しましたが、後土御門天皇の勅命によって1473年に再建されました。この時に泉涌寺の塔頭となり現在に至っています。 |
| 春の枝垂れ桜、秋の紅葉が魅了する庭園には、大日如来の変化身である愛染明王を祀る橙色の小さな八角堂の愛染堂があります。愛染明王は、泉山七福神巡り番外札所です。 |
| 悲田院は泉涌寺の塔頭です。身寄りのない老人や貧しい人、親のない子ごもを収容する福祉施設である悲田院は、難波京や平城京内に設けられ、平安京でも東西2カ所の悲田院が設けられました。鎌倉時代の1308年に、無人如導により安居院(上京区)に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立され、平安京の悲田院の名が引き継がれました。 |
| 本堂は再興時の建物で、本尊の阿弥陀如来立像のほか、快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像が祀られ、襖絵は土佐光起・光成親子の力作です。毘沙門堂の毘沙門天は「泉山七福神」の一つとして信仰を集めています。また、煎茶道「東仙流」の総司所として煎茶道の普及に努めています。 |
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| 悲田院の横からは京都市内が展望できます。 |