廬山寺

  廬山寺は、天慶年間(938~947)年に、元三大師(がんざんだいし)の名で知られる比叡山第18世座主の良源上人によって創建されました。現在の場所に移ってきたのは1573年で、創建地は船岡山の南あたりです。現在の場所は紫式部の邸宅があった地として知られ、源氏物語もこの家で執筆されたものといわれています。
 
山門   
元三大師堂 
元三大師堂は開祖元三大師良源が祀られています。天明の大火によって消失し、現在のお堂は1835年に建立されました。 
左側が本堂、奥の門の向こう側が源氏庭
現在の本堂は1794年に光格天皇が仙洞御所の一部を移築したものです。廬山寺は宮中で元三大師良源の修法を邪魔する悪鬼を退散させた節分会「鬼法楽(鬼おどり)」でも知られています。   
 
薬医門  源氏庭入口 
紫式部はこの地で育ちました。そして、結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆しました。現在の廬山寺の境内を中心とする所です。
源氏庭 
廬山寺の見どころは、紫式部ゆかりの本堂庭園・源氏庭です。一面の白砂に設けられた苔地のたおやかな曲線が優しい平庭の枯山水で、初夏には桔梗が清楚な風情を添えます。 
 
紫式部像   
 紫式部は藤原香子と呼び、「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」などは、ほとんどこの地で執筆されたものです。そのため、世界文学史上屈指の史跡、世界文学発祥の地とも言われております。この遺跡は考古学者角田文衛博士によって考証されました。
源氏庭
昭和40年11月、廬山寺の境内に紫式部の邸宅址を記念する顕彰碑がたてられるとともに源氏庭が整備されました。 また、源氏物語の花散里の屋敷はこのあたりであったといわれています。
源氏庭は平安朝の庭園の「感」を表現したものであり、白砂と苔の庭です。源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことで、紫式部に因み、紫の桔梗が6月末から9月初め頃まで静かに花開きます。  
本堂内 
本堂内では、江戸時代の住吉派の絵師による「若紫」「絵合(えあわせ)」の掛け軸、「源氏物語屏風」のほか、特別公開期間中は与謝野晶子自筆の和歌集「源氏物語礼賛」の特別展示もありました。
 
顕彰碑  橘の木 
 大きな石は顕彰碑で、「紫式部邸宅址」と彫られています。御所と同じように“右近の橘”が植えられています。

(2024.3.5撮影)
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