六波羅蜜寺

  951年に念仏を唱える口称念仏の祖でもある空也上人が、六波羅蜜寺の元となる寺を京都に開きました。963年には、名僧を600人ほどを集めて金字大般若経を読み、京都の街に広がる病魔を鎮めようとしたそうです。  
    
 
黒い観音像と願石、後ろが本堂  お地蔵様 
黒い観音像は、本尊である十一面観音菩薩像を模して作られた銅像です。本堂には本尊である十一面観音が祀られており秘仏とされています。
願石は、中央に円状の石がはめ込んであり、回せる仕組みです。その石を祈りを込めながら手前に三回まわすと願いが叶うそうです。 
   
 
平清盛公乃塚 正門 
この六波羅蜜寺のある周囲にはかつて「六波羅殿」と呼ばれ、平家一門の屋敷がありました。平安時代の後期頃より平清盛の父・忠盛が境内に自軍を駐留させたことをきっかけに平家の拠点となったのです。清盛・重盛の頃には5200もの一門の邸宅が建ち並んでいたといいます。残念ながら平安末期の兵火によって諸堂は焼け落ち、本堂だけが焼失を免れたそうです。
    
 
本堂   
本堂は、1363年に修築されたものです。京都の中心部において応仁の乱(1467 〜 1477)を乗り越えた遺構として大変貴重なものです。1969年に解体修理され、華やかさを感じさせる塗装がなされています。 
   
 
宝物館入り口 空也上人立像(ポスター)  
六波羅蜜寺の宝物館は撮影禁止ですが、常朝作「地蔵菩薩立像」、運慶作「地蔵菩薩坐像」、さらに歴史教科書に掲載されている「平清盛坐像」、「空也上人立像」など、平安から鎌倉時代に彫刻された貴重な仏像を鑑賞できます。
平安時代の京都は、度重なる「疫病」の蔓延によって人々は苦難の生活を強いられてました。疫病が蔓延する京都で空也上人は観音様を荷車で引きながら、念仏を唱え、病に苦しむ人々にお茶を振る舞って救い出したという逸話が残っています。 
    
 
銭洗い弁財天堂   
銭洗い弁天は、財運や芸能にご利益があると言われる弁財天です。弁財天の前のざるに小銭を入れて洗います。
   
 
なで牛   
なで牛は、なでたところの病や怪我が治るご利益があるそうです。 
   
 
弁財天堂   
弁財天堂は、崇徳天皇の夢でお告げがあったことが起源となり建設されました。お堂の中に祀られている弁財天は、財運、芸能、縁結びのご利益がある神様です。弁財天は、七福神の一人にも数えられます。

(2021.11.30撮影)

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