冷泉家

 冷泉家住宅は、完全な姿で現存する唯一の公家屋敷です。京都御所周辺の旧公家町に近世初頭以来の土地を守り、寛政2年に再建された建物と、その配置構成は旧制を忠実に伝えた貴重な遺構として知られています。 
2025年年は10月31日から3日の4日間の特別公開が行われました。ほとんど1年中は閉ざされている冷泉家の敷地に入れる貴重な期間なので、行ってきました。残念ながら敷地内は写真撮影禁止なので、門の外からだけしか写真を撮ることができませんでした。拝観も屋内には入れず、部屋の外から覗く形で観賞しました。
冷泉家伝来の典籍及び古文書類は、長家、俊成、定家以来の家学である和歌に関するものを中心に、数万点にのぼります。中世から近世にかけて、その時代の公家や武家の手で書き写されて流布したものも多く、伝統文化の継承と新しい文化の形成に重要な役割を果してきました。冷泉流歌道と関連諸行事は、宮廷生活の伝統文化を今に伝えるもので、この継承保存は有形、無形の高い価値をもっています。
 
表門  亀像瓦 
表門は今出川通りに南面して建っています。屋根に載る留瓦は、阿吽の亀像瓦になっています。これは冷泉家が京都御所の北にあるため、北の方角の守護神・玄武神を表し、四神相応神の一つになっています。中央の梁上にも、木彫りの亀が北向きに祀られています。
冷泉家は平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人で、公家である藤原俊成とその次男で、小倉百人一首の撰者である公家・藤原定家父子の子孫で、歌道をもって代々朝廷に仕えました。室町時代に冷泉為之を祖とする上冷泉家と冷泉持為を祖とする下冷泉家に分かれ、上冷泉家が1606年に江戸幕府初代将軍・徳川家康から賜った現在の場所に屋敷を構えました。冷泉家住宅の南側の京都御苑は江戸時代には200もの宮家・公家の邸宅が立ち並んでいましたが、東京遷都によって荒廃し、京都府が火災延焼を防ぐ為に空き家を撤去し、京都御苑が整備されました。  
 
冷泉家の建物(看板の写真より)  拝見受付 
冷泉家住宅の敷地には文化財を保管する蔵があり、その蔵も含めて冷泉家住宅自体が重要文化財に指定されています。俊成や定家の自筆本が保管されている蔵は「御文庫」と呼ばれ、神聖な場所として守られています。冷泉家は鎌倉時代から800年もの間、住宅と文化財を守ってきました。 
(2025,11,3撮影)

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