西本願寺

  西本願寺は、浄土真宗本願寺派の総本山で、正式名称は「龍谷山 本願寺」といいます。東本願寺と区別するために「西本願寺」と呼ばれています。1602年に徳川家康の寄進により再建された現在の伽藍は、「飛雲閣」や「白書院」などの国宝建造物を含み、1994年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。 
左が御影堂、右が阿弥陀堂
西本願寺の中心的存在である本堂(阿弥陀堂)と御影堂は、「双堂」と呼ばれ、広大な空間を持つ木造建築としては日本最大級の規模を誇ります。本堂は阿弥陀如来を本尊として祀り、御影堂は宗祖親鸞聖人の御影(肖像画)を安置しています。
唐門 
唐門は桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き・唐破風の四脚門です。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから「日暮らし門」とも呼ばれています。
 
御影堂門  阿弥陀堂門 
 
御影堂   
親鸞聖人の木像(ご真影)が安置されているところから、御影堂と称します。1617年の火災で焼失しましたが、1636年に再建されました。高さ29m、東西48m,南北62mあります。御影堂の内部は豪華な彫刻で装飾され、唐門や廊下を含めた建築群全体が調和した美しさを見せています。参拝者は畳敷きの広間に座り、荘厳な雰囲気の中で心を静め、親鸞聖人の教えに触れることができます。 
 
 阿弥陀堂  
本尊である阿弥陀如来像を安置していることから阿弥陀堂と称し、本堂ともいいます。単層、入母屋造、本瓦葺、高さ25m、東西42m、南北45mで、御影堂とともに江戸時代の真宗伽藍の典型です。
 
経蔵   
西本願寺の起源は、1272年に親鸞聖人の遺骨を祀るために建立された「大谷廟堂」に始まります。その後、8代宗主蓮如上人の時代に教線が拡大し、本願寺は勢力を増していきました。しかし、戦国時代には織田信長との対立(石山合戦)により、当時本拠地としていた石山本願寺(現在の大阪城の地)からの移転を余儀なくされました。1580年に石山本願寺が落城した後、本願寺は各地を転々とし、豊臣秀吉の調停により1591年に現在の地に寺地を与えられ、「西本願寺」として再建されることになりました。
 
大玄関 大玄関門
大玄関 は、本瓦葺・入母屋造り・妻入りに唐破風 で、公式行事等に際して 来客を迎えます。大玄関門は、左右に門番屋を持つ薬医門です。 
 
伝道院  総門 
本願寺伝道院は仏具店が並ぶ門前町エリアにそびえ立つ、赤レンガが特徴的な建物です。本願寺を大株主とする真宗信徒生命保険会社の社屋として明治45年(1912)に建築され、銀行や診療所などを経て、現在は僧侶の教育施設の場になっています。設計は東京帝国大学の教授・伊東忠太によるもので、レンガ造りで、インドのイスラム様式のドーム、イギリスの建物をイメージしたレンガ壁など、さまざまな建築様式を取り入れられています。

<飛雲閣>

飛雲閣は、金閣、銀閣と共に「京の三名閣」の一つに数えられる国宝建造物です。境内地東南に位置する「滴翠園」の中に建てられ柿葺の三層からなる楼閣建築で、前面が滄浪池に面し、舟で出入りするように造られています。 
金閣・銀閣が左右対称であるのに比べ、建物全体が非対称に造られており、不規則な中にも巧みに調和が保たれています。見る位置によって変化する多彩な姿を楽しませてくれます。 
 
二層と三層   舟入玄関
一層は主室の招賢殿と八景の間、舟入の間、さらに後に増築された茶室・憶昔からなります。二層は三十六歌仙が描かれた歌仙の間、三層は摘星楼と呼ばれています。
舟入玄関の部分で舟を降り、石段を登ると、飛雲閣の正式な玄関である船入の間に入ります。
初層は入母屋造りに唐破風と千鳥破風を左右に、二層は寄棟造りに三方には小さな軒唐破風を配し、三層は寄棟造りと実に変化に富んだ屋根になっています。二層、三層と建物は小さくなり、その中心も東に移るという左右非対称ながら巧みな調和を持つ名建築として知られています。全体的に柱が細く障子の多いことから、空に浮かぶ雲のようだということで、飛雲閣と名づけられたといわれています。 
周囲に広がる約4900㎡の庭園「滴翠園」には、田舎家風の外観の茶室「澆花亭」や四阿「胡蝶亭などが建っています。

(2026.3.1撮影)

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