春の京都2023
春の京都には何度か訪れていますが、2023年は左京区を中心に徒歩で巡り、夕方からは三条、四条付近を歩きました。 →桜の時期の京都訪問
<岡崎疎水>
岡崎疎水の桜と平安神宮の赤い大鳥居 |
高さ約24メートルもある平安神宮の大鳥居は、完成当初は日本一高い鳥居として建てられ、その姿はとても迫力があります。この大鳥居のすぐ側を流れる岡崎疏水では、桜の季節は、この疏水に舟が出ます。そこから見る平安神宮の大鳥居は、圧巻です。 |
岡崎疎水と十石舟 | |
岡崎さくら回廊十石舟めぐり | 有鄰館 |
有鄰館は政財界で活躍した藤井善助が設立した美術館で、中国の殷代~清代の仏像・陶磁器・青銅器・書画などの美術工芸品を展示しています。 |
清流亭は、南禅寺一帯の別荘地開発を手がけた実業家塚本與三次が建設したもので、庭園を囲むように、建物が配置されています。 文人墨客が訪れ、美術工芸家にとって憧れのサロンになっていました。現在は大松株式会社が預かり、所有しています。清流亭は2010年に国の重要文化財に指定された歴史的にも貴重な建造物です。 |
東山の麓を流れる琵琶湖疏水分線のうち、若王子橋から白川通りの浄土寺橋に至る疏水両岸の小道を「哲学の道」と呼んでいます。哲学者の西田幾多郎やその弟子たちが思索にふけりながら歩いたことにちなみ、この名がつきました全長約2kmの散策道には、約400本のソメイヨシノなどが咲き誇り、満開時の桜のトンネルは感動的です。 |
大豊神社は、哲学の道の南端近く、哲学の道沿いの東側にあります。平安時代初期(887年)に宇多天皇の病気平癒を願って藤原淑子が創建したと伝えられています。 鹿ケ谷・南禅寺一帯の産土の神、氏神様で、狛犬ならぬ狛ねずみが鎮座する神社として有名です。 |
金戒光明寺は、比叡山を旅立った法然が1175年に開いた草庵にはじまります。幕末の京都守護職を務めた会津藩主・松平容保が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地です。 |
真如堂は天台宗の寺院で、正式には真正極楽寺で、正真正銘の極楽の寺という意味です。984年に比叡山の僧・戒算上人が夢告により、延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を安置したのが始まりです。 |
桜吹雪の舞う本堂 |
本堂 | 三重塔 |
法伝寺は真如堂の塔頭の一つです。神仏混淆、ダキニ尊天を祀っていますので鳥居があります。春には桜で覆われます。 |
宗忠神社は、黒住教の教祖黒住宗忠を祀ります。吉田山荘は、吉田山の中腹にあります。昭和天皇の義理の弟、東伏見宮家の別邸として昭和7年(1932年)に建てられました。戦後、その壮麗な姿のまま料理旅館となりました。 |
宗忠神社 | 吉田山荘 |
白川疎水沿いに桜並木が続いていました。疎水に桜吹雪が舞い、川面には桜の花びらが流れていてとてもきれいでした。 |
白川は、比叡山南麓の山中を源とし、全長は9.3kmあります。川底に白川砂が堆積し、白く輝いたことからその美しさを称えられ、藤原定家、紀貫之などの和歌にも歌われました。三条通りを超えると、川沿いに柳の木がたくさん植えられ、柳並木の鮮やかな新緑が趣をかもし出しています。一本橋は、別名は行者橋と言われています。比叡山の修行のうちでも随一の荒行とされる千日回峰行を終えた行者が、入洛する際最初に渡る橋ということでこの名がついたそうです。 |
白川と一本橋、手前が知恩院門前親水テラス | 古川町商店街 |
平安神宮のすぐ近く、三条通から南北に約250mのアーケードが伸びる通りが古川町商店街です。安土桃山時代以前から、京都に若狭からの水産物を運ぶルートとして「鯖街道」と呼ばれた若狭街道の終点が古川町商店街の入り口であり、古くは東の錦と呼ばれ、栄えました。1,000個のランタンに彩られたレトロとモダンが交錯するフォトジェニックな風景が今注目されています。 |
木屋町は京都有数の繁華街でありながら、歴史的にも有名な高瀬川が流れ、京情緒溢れる町並みが続く通りです。この高瀬川沿いには、木屋町地域(四条から五条間の約900m)だけでも200本以上のソメイヨシノが立ち並び、風情ある町並みを作っています。また、サクラの開花に合わせてライトアップも行われるため、夜桜見物も楽しめます。 |
木屋町通りの桜と高瀬川 | 先斗町公園 |
京都の花街・グルメ街である先斗町は、幅2メートルほどの細い道沿いに町家作りの店が軒を連ねますが、一箇所だけポッカリと、戦時中の「建物疎開」で町家を撤去した跡が先斗町公園です。焼夷弾による延焼を防ぐために建物を強制的に撤去したのです。 |