大覚寺

  大覚寺は、 平安初期に嵯峨天皇がこの地に離宮嵯峨院を建立し、「嵯峨御所」と呼ばれたのが始まりといわれています。876年に淳和天皇の皇女 正子内親王が離宮嵯峨院を寺院に改めました。大覚寺は、日本に現存する最古の庭池「大沢池」を望む風光明媚な地にあり、嵯峨天皇の離宮の面影を残す門跡寺院です。 

【表門】

 
 

【式台玄関】
式台玄関は、大玄関とも呼ばれ、江戸時代初期に御所から移された建築物で、明智光秀が居城としていた亀山城の一部を移築したものとされています。大藩の屋敷や貴人を迎える玄関として使用されることが多かったそうです。
菊の御紋の染め抜かれた幕が降りる式台玄関は、身分の高い人だけが、この玄関から入ることができました。 
    
 
式台玄関を飾る狩野永徳筆と言われる襖絵も見事です。   

【正寝殿】
正寝殿は宸殿の後ろにある御所風の建物です。鎌倉時代に後宇多法皇が院政を行った場所として知られています。また室町時代には、南北朝統一に向けた講和会議や三種の神器の引き渡しも行われた意味でも、中世日本の歴史が動いた舞台と言える場所です。現在の建物は、豊臣秀吉が政権を握っていた桃山時代に再建されました
    
 

【宸殿】
大覚寺の宸殿は、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘で皇后になった東福門院和子の御殿を移築したものです。宸殿は皇族出身者が住職を務める門跡寺院でなければ見られないものです。伝統的な貴族の邸宅に使われる寝殿造の建築様式で、内部には天井の随所に装飾や、狩野山楽が描いた障壁画などがあります。 
    
 

【村雨の廊下】
宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、「村雨の廊下」と呼ばれています。建ての柱を雨、直角に折れ曲がっている廻廊を稲光にたとえてその名がついたといわれてます。天井が低いのは刀や槍が振り上げられないためであり、床は鴬張りになっており、防犯を意識した造りになっています。

【御影堂】
御影堂は、歴代天皇による般若心経が奉納されている勅封心経殿の前にあることから「心経前殿」の名前もあります。内部には嵯峨天皇や恒寂法親王、後宇多法皇など、大覚寺の歴史を語る上で欠かせない人物の像が祀られています。 
    
 
御影堂   勅封心経殿
勅封心経殿は1925年に法隆寺の夢殿を模して再建されました。殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の宸翰勅封般若心経を奉安し、薬師如来像が祀られています。 

【勅使門】
勅使門は、唐破風の部分が漆塗りで鍵金の飾り装飾が施されています。その名の通り、門跡猊下出仕の晴れ法会など特別な勅使の来山の時のみ開かれる門です。
    
 
白砂庭園の中央には石舞台があります。   

【五大堂】
大覚寺の本堂にあたるのが五大堂です。現在の建物は江戸時代中期にあたる天明年間に再建されました。不動明王を中心とする五大明王を祀っています。大沢池に面する東面には池に張出すように観月台があり、大沢池が一望できます。 
 
 

【霊宝館】
大覚寺霊宝館は、内部に重要文化財を多く所蔵し、桃山時代の狩野山楽筆「牡丹図」「松鷹図」の襖絵、平安時代後期の仏師・明円作「五大明王像(大覚寺本尊)」などが常時安置されています。
2022年夏の特別公開の霊宝館では、源義経も使用した源氏の重宝との伝承を持つ太刀「薄緑(膝丸)」が特別展示されていました。
 

【大沢池】
大沢池は大覚寺境内の東側に位置し、周囲約1㎞の日本最古の人工林泉庭園として有名です。平安初期に嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営とともに作られた林泉庭園で、当時の文化発信基地としての役割も担ってたといわれます。 
大沢池には池舞台があります。

(2022.7.30撮影)
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