醍醐寺

  醍醐寺は874年,空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が開山し,山頂付近を「醍醐山」と名付けました。醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に,多くの修験者の霊場として発展した後,醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け,その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになります。その後,応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し,五重塔のみが残されました。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに,紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし,今日の姿となりました。

<三宝院>

三宝院は1115年,勝覚僧正により創建され,醍醐寺の本坊的な存在であり,歴代座主が居住する坊です。庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり,国宝に指定されています。国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は,1598年,豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり,今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。 
 
 
太閤しだれ桜  玄関 
   
   唐門   
   
醍醐寺は,もともと桜の名所であったわけではありませんが,秀吉が,桜の見頃の数ヶ月前に,気まぐれにこの地で花見がしたいと言い出し,その僅か数ヶ月の期間に約700本の桜を移植し,花見の会場にしたと言われています。その際,花見のために建物も一緒に築造しています。現在,醍醐寺にある建物の多くは,その時に造られたものであり,三宝院唐門と表書院の2棟の国宝建造物もその際建てられたものと考えられています。 

<霊宝館>
霊宝館には,国宝や重文だけで7万5千点以上,未指定の文化財を含めると,約10万点以上に及ぶ寺宝を収蔵。彫刻,絵画,工芸,古文書など,日本の仏教史や美術史上貴重な資料が収蔵されています。
 
 
   
   
   
   

<伽藍>

   
  西大門 (仁王門)   
     
   
   
  五重塔…醍醐天皇のご冥福を祈るために951年に完成しました。

<報恩院>
   
 

(2015.3.30撮影)
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