水口城

  水口城は、徳川家光が小堀遠州に築かせた将軍家の宿館です。将軍徳川家光が京都への上洛に先立ち、1632年に茶人であり築庭、築城の第一人者であった小堀遠州に命じて、上洛する際の将軍専用の宿館として、東海道の要衝の地である水口に豪華な本丸御殿を持つ城を築かせました。
 
 
水口城跡の本丸跡は水口高校のグラウンドとして利用されていますが、石垣や櫓台などの遺構が残っています。 
 
 
現在は、明治7年に廃城となった水口城が復元されて、水口城博物館として公開されています。石垣の上に角櫓が復元され、美しい白壁を堀の水面に映しています。水口城博物館は水口城に関する資料を展覧しています。 
 
 
築城後は、水ロ藩2万5千石の居城となり、湧水を利用した薬研堀に水をたたえていたことから「碧水城」の別名がありました。 
(2019.11.22撮影)


水口宿
水口宿は、東海道53次50番目の宿場町です。近江5宿のうちでは大甲につぐ規模でした。西部は水口城を中心とした城下町でもありました。
   
 
    
 
水口宿本陣跡  水口宿脇本陣跡 
   
高札場跡   
(2020.9.26撮影)
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