草津宿
草津宿は、東海道・中山道という二つの大きな街道が分岐・合流する、交通の要衝でした。1843年の「東海道宿村大概帳」には、草津宿には2軒の本陣と2軒の脇本陣、72軒の旅籠があったと記録されています。このほか、旅人を迎える茶屋や髪結い床、草鞋などの道具を売る店、荷物の継立の中継地点である「問屋場」や、荷物の重量を改める「貫目改所」といった物流の拠点も置かれ、ひととものの行き交う賑やかなまちだったと考えられます。
草津宿本陣
草津宿本陣は、現在、全国に残る本陣の中でも最大規模を有していて、当時の面影を今に伝えています。草津宿には「田中七左衛門本陣」と、「田中九蔵本陣」の2軒がありました。現存する草津宿本陣は、当主の田中七左衛門が1635年に本陣職を拝命したとされています。 |
草津宿本陣は、幕末の絵図等によると、表間口14間半(約26.1m)、奥行き62間(約111.6m)、屋敷地1,305坪、建坪468坪でした。 |
畳廊下です。宿泊者が多いときは部屋としても使われます。 | 宿泊者の名前を書いた関札です。 |
上段の間です。一番格式の高い部屋で主客が休泊します。 | 三間続きの西広間 |
向上段の間です。上段に次いで格式の高い部屋です。 |
湯殿です。主客専用の風呂で、湯沸かし屋形で沸かした湯を運んでいました。 | ||
上段雪隠(左が大便所、右が小便所) | 庭園 |
台所です。五連式のかまどなどを備え、多人数の食事を準備しました。 |
さる戸 | 本陣当主田中家の住居部です。 | 防火用バケツの役割をした籠 |
資料展示施設の楽座館です。 | 井戸跡 | |
土蔵 | 湯を沸かした湯沸屋形 | 厩 |
草津宿街道交流館
草津宿街道交流館は、草津宿の歴史資料館です。江戸時代の旅と街道を中心に、草津の歴史・文化を紹介しています。 |
草津宿まちなみ模型 | 荷物を宿場で積み替えていました。 | |
右東海道と刻まれた1787年の道標 | 右は東海道、左は中山道と刻まれた1680年の道標 |
追分道標は、1816年に東海道と中山道の分かれ目に建てられました。「右 東海道いせみち/左 中仙道美のぢ」と刻まれています。 |
右へ行くと東海道(江戸方面)、左に行くと中山道です。左上には天井川の旧草津川が流れていました。 |
草津川は、草津市の中心近くで周りの土地から5、6メートルも高いところを流れる天井川でした。昔から何度も氾濫して大きな被害を出していたことから根本的な治療をすることになり、新しく掘った水路に付け替えられました。それまで流れていた天井川部分およそ7キロは廃河川となり、草津川跡地公園になり、市民の憩いの場になっています。 |
草津川跡地公園です。 | 琵琶湖までサイクリングできます。 |
高札場には、幕府や領主の決めた法度や掟書が木の板面に記して、高く掲げられています。 |
吉川芳樹園店舗兼主屋です。 | 屋号が掲げられています。 | |
太田酒造道灌蔵です。 | ||
明治4年使用の型の郵便ポスト | ||
くさつ夢本陣です。 | 遍照寺です。 | |
735年創建の常善寺です。幾度か将軍の宿舎ともなり、草津宿で最も重長な寺でした。 |
立木神社は、767年創建の古社で、東海道の草津宿にあったため厄除開運・交通安全の神社として信仰を集めています。 |
神鹿 | ||
神門 | 拝殿 | |
本殿 | ||
拝殿で七五三のご祈祷を行っていました。 |