石山寺

  石山寺は、琵琶湖から流れる瀬田川のほとりにある伽藍山(標高239m)の麓にあります。石山寺は本堂が国の天然記念物の珪灰石(石山寺硅灰石)という巨大な岩盤の上に建立されていることが名称の由来になっています。 聖武天皇の勅願により良弁僧正が創建した真言宗の大本山です。奈良時代から観音の聖地とされ、平安時代には京都の清水寺、奈良の長谷寺と並ぶ三観音として多くの貴族の信仰を集めました。  
月見亭 
月見亭は、崖にせり出すように造られていて、瀬田川の清流を見下ろす絶好の眺望が見られます。後白河上皇の行幸の際に建立されたと言われ、「近江八景 石山の秋月」の図で描かれています。
 
東大門   
東大門は石山寺の正門で、瀬田川沿いに面する重要文化財です。鎌倉時代の建立とされていますが、淀殿の寄進による伽藍再興の際に、大規模な修理が行われました。中の仁王像は運慶とその長男である湛慶が作成し、力強さと美しさの両方が強く感じられます。 
 
  拾翠園 
 
くぐり岩  比良明神影向石 
くぐり岩は、奈良時代からある聖域で、大理石でできていて穴をくぐると願い事が叶うといわれる岩です。比良明神影向石は、良弁僧正が近江の地主の比良明神に出会った場所です。比良明神は老人に姿を変え、この岩に座っていました。
硅灰石 
硅灰石(けいかいせき)は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものです。石山寺のように雄大な 硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています。「石山」という名称はこの硅灰石に由来しています。 
 
三十八所権現社本殿 
 
硅灰石  経蔵 
経蔵は、高床の校倉造(あぜくらづくり)です。かつては重要文化財の「石山寺一切経」「校倉聖教」などが納められていました。三十八所権現社は、天智天皇までの歴代天皇を祀る石山寺の鎮守社です。
 
源氏の間   
本堂の相の間にある部屋は、紫式部が参籠して『源氏物語』を書き始めた所と伝えられ、「源氏の間」とされています。紫式部は1004年、新しい物語を作るために石山寺に7日間参籠し、石山寺から琵琶湖の湖面に映える十五夜の月を見て、「源氏物語」の構想を思いついたとされています。 
 本堂
本堂は、奈良時代に建てられた仏堂が1079年の大火で焼失し、1096年に再建された内陣(正堂)と、1602年淀殿の寄進によ改築された外陣(礼堂)と相の間からなる複合建築となっています。礼堂は、硅灰石の岩盤にせり出して建つ懸造(がけづくり)です。
 
上から見た硅灰石 
 
毘沙門堂  蓮如堂 
毘沙門堂は江戸時代中期の1773年に建立されたもので、平安時代に作られた兜跋毘沙門天、吉祥天、善膩師童子が祀られています。
    
観音堂 
 
観音堂内部  多宝塔 
多宝塔は、自然のエネルギー感じる硅灰石の上に建立され、力強くも非常に美しいデザインの建築物です。観音堂には西国三十三所札所の観音が祀られています。 
 
鐘楼 
 
多宝塔  御影堂 
石山寺の多宝塔は、1194年に源頼朝が寄進したと伝えられる日本最古の多宝塔で国宝に指定されています。均整のとれた優美な建築で、内部の柱や天井の廻りなどには仏像や草花などの絵が描かれています。 鐘楼は、大きな檜茅葺(ひわだぶき)の屋根と下層のカーブが美しく、気品さえ感じられ、心願成就の鐘とも呼ばれています。
月見亭の横から瀬田川と桜の美しい景色を見ることができました。 
 
 
光堂   
鎌倉時代に存在した光堂を復興したものが、現在の石山寺の光堂です。伝統的建築技法である懸崖造を用いて造られています。眼下に広がる牡丹園と共に非常に風靡な光景を目にすることができます。 
 
 
紫式部の像   豊浄殿
   
 
ミツバツツジがきれいでした。 
 
 
本堂と天狗杉   
石山寺の横には清流瀬田川が流れています。 

(2023.4.3撮影)
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