新大仏寺

  新大仏寺は、源頼朝が後鳥羽法王の勅願寺として全国に7か所開いた東大寺の別所のひとつです。伊賀別所として、東大寺を再建した高僧俊乗坊重源上人が1202年に創建しました。新大仏寺という名は、重源上人が東大寺に敬意をはらって寺の名前に新の一字を加えたものです。。 
    
明王殿 
 
大門  太師堂 
太師堂は1738年宝梁律師が設立しました。元護摩堂として建てられた堂です。明王殿は交通安全祈祷所です。 
    
境内   鐘楼堂
境内は大仏殿をはじめ、11棟の諸堂からなり、伽藍内には、木造では類を見ない大仏をはじめ、多数の重要文化財などが安置されていて、岩屋不動尊や慈母観音、白寿観音も祀っています。
    
新大仏殿 
 
新大仏殿は外見は質素ですが、2階に行くと、中央に金色に輝く大仏如来像が堂々とした姿で座っています。鎌倉時代の大仏師・快慶作の大仏像で「阿波の大仏さん」と昔から親しまれています。総高は6m(像高4m)の毘盧舎那如来坐像ですが、もともとは盧遮那仏ではなく、立像の阿弥陀如来で、頭部のみが快慶の造立(頭部には快慶の銘が入っています)、それ以外は江戸時代中期の補作です。
    
台座の獅子 
 
重源上人像  石造基壇 
国重要文化財の一つ「重源上人像」(鎌倉時代作)は、全国に4体しかないと言われています。新大仏殿の1階には、かつての大仏の石の基壇が展示されています。 
    
 
大仏殿  本堂(上人堂)
本堂は1632年上野城主藤堂大学助髙次が、 雨乞い祈願成就の御礼として寄進したもので、元俊乗房重源像をまつったことから上人堂と称していますが、 現在は阿弥陀如来を本尊としています。
    
地蔵菩薩像(鎌倉時代作) 
 
大仏殿の本尊釈迦如来像   
大仏殿は間口6間半、奥行8間半の大仏様式の建物で、元本尊の大仏如来を祭ったため大仏殿と称していますが、現存する大仏殿は、1748年の再建で、釈迦如来を本尊にしています。 
   
 
不動明王   不動の顔
大仏殿の奥に進むと、岩の前に岩屋不動(江戸時代作)が剣と縄をもち、2童子をしたがえて立っています。かつては、後ろの岩に彫られていましたが、崩れおち、現在は岩の前に石造を立たせています。岩屋不動の前には、かつて岩に彫られて崩れ落ちた不動の顔が左右に祀られています。 


<辻堂古墳>
大山田村にある辻堂古墳は、墳丘の殆どを流失していますが、直径20m程の円墳もしくは前方後円墳だったと推定されています。埋葬施設は南に開口する両袖型の横穴式石室で全長9.8mです。
 
 
石室  石棺 
床面全体に敷石が並べられ、羨道部には排水溝を備えるほか、玄室内に組合せ式石棺2基が残存していました。

(2022.3.8撮影)
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