関宿

 関宿は,江戸時代には東海道五十三次の江戸から数えて47番目の宿場町として,参勤交代や伊勢参りの人々などで賑わったところです。東西追分の間約1.8kmにわたって江戸から明治時代に建てられた古い町家が200軒あまり残っています。歴史的な町並みが残る場所として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
    
 西追分…西の入り口です。
 
古い町並み 石柱
東海道から大和・伊賀街道が分岐していました。石柱には「ひだりハいかやまとみち」とあります。  
    
漆喰彫刻 鶴 
 
漆喰彫刻 亀   
関宿の西部、新所にある町家の袖壁に付けられた漆喰彫刻です。漆喰彫刻は、壁を塗る漆喰を使った、左官職人が使う道具“鏝(こて)”で形づくった彫刻です。この家の漆喰彫刻は、鶴亀です。2階の左右の両端の向かって右側の鶴、左側の亀で一対になっています。 
漆喰彫刻 虎 
漆喰彫刻 鯉の滝昇り
2階の屋根は柱から出された出梁(でばり・だしばり)と、出梁にかけられた出桁(でけた・だしげた)によって軒を深く出しています。建物の左右両端から突き出た“袖壁(そでかべ)”でも支えられています。袖壁は“袖うだつ”とも呼ばれ、隣家から火が移ってくるのを防ぐための壁ですが、隣家との境をはっきりさせる意味もあって看板としても使われていました。 
    
 愛染堂
 
地蔵院の鐘楼 地蔵院 
地蔵院の創建は741年、当時流行した天然痘の平癒を祈願して地蔵菩薩像を安置したのが始まりと伝えられています。本尊である地蔵菩薩座像は日本最古の地蔵尊像と言われています。関宿は東海道、大和街道(伊賀街道)、伊勢別街道の分岐点としての交通の要衝だった為、多くの旅人が宿場を利用し道中安全や縁結びの祈願を行いました。
   
観音堂 
 
会津屋は関宿を代表する旅籠のひとつです。   
 
火縄屋 高札場跡 
停車場道は、明治23年に四日市と草津を結ぶ関西鉄道が開通したとき,関停車場への道として整備されたものです。
江戸時代の関宿の特産物として火縄がありました。火縄は,鉄砲に用いるだけでなく,道中の旅人が煙草等に使うため購入しました。
    
 
老舗菓子舗の庵看板
老舗菓子舗の庵看板です。瓦屋根のついた立派な看板で、看板の文字は京都側が漢字「関能戸」,江戸側がひらがな「関の戸」になっています。旅人が向かう方向を間違えないための工夫だと言われています。「関の戸」は、この店であつかわれているお菓子の名前です。 
   
 
玉屋は関宿を代表する大旅籠のひとつです。現在は関宿旅籠玉屋歴史資料館として公開されています。 
玉屋は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」 と謡われる大旅籠でした。
    
 橋爪家…両替商を営む豪商でした。
 
山車倉 百六里庭の眺関亭から関宿の家並みが一望できます。 
 
関宿の街並み   馬つなぎの環金具
 関宿は、東海道の箱根と並ぶ難所“鈴鹿峠”を控え、また東海道から伊勢神宮方面への分岐点として栄えました
 
 
関まちなみ資料館…伝統的な町屋を公開した資料館です。  御馳走場 
御馳走場は、関宿に出入りする大名行列の一行を,宿役人が出迎えたり見送ったりした場所です。 
   
老女の仇討ちで知られる小万の墓
 
開雲楼と松鶴楼   ばったり
開雲楼と松鶴楼は、芸妓置店でした。こった意匠の二階の手すりや格子窓などその面影を残しています。ばったりは、店の前に取り付けられた上げ下げができる棚です。昔の面影が残っています。
 
福蔵寺 
 
 「桶重」の細工瓦 器  関宿で受け継がれる伝統工芸品「桶」の工房「桶重」です。
 「桶重」は創業は明治15年で、今は4代目です。今でも「関の桶」を熟練の技で1つ1つ昔ながらの工程で桶を作っています。
    
 伊藤本陣跡
 
東追分  旧脇本陣の門
関宿の東の入口となる東追分は,東海道と伊勢別街道の分岐点です。鳥居は二十年に一度伊勢神宮から移されてきます。常夜灯・道標なども残っています。  

(2006.1.9撮影)
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