熊野古道中辺路コースその2

 「熊野古道」とは広義には小辺路、大辺路、紀伊路、伊勢路、大峯奥駈道と熊野に至る長大な参詣道を含みますが、一般的に観光スポットや史跡に関する”熊野古道”はこの「中辺路」の区間を指します。 平安時代から鎌倉時代にかけて皇族・貴族が熊野へお参りした「熊野御幸」では、この中辺路が公式の参詣道として述べ100回以上も繰り返し利用されました。

<熊野本宮大社>

    
 
熊野本宮大社
熊野那智大社・那智山青岸渡寺、熊野速玉大社と併せて「熊野三山」と呼ばれ、熊野信仰の中枢を担ってきました。京都から一番近い熊野本宮大社は、熊野三山を巡る熊野詣の際に最初に目指す場所でした。 

<大斎原>
    
 
本宮大社旧社地「大斎原」 湯峰王子
1889年8月の水害時まで熊野本宮大社は、熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありました。 水害により流出したため、1891年に現在の高台に遷座しました。

<牛馬童子>

    
 
牛馬童子
牛馬童子像は、花山法皇(平安時代中期)の熊野詣の旅姿といわれ、牛と馬に乗った珍しい姿をしています。

<滝尻王子>
    
 
滝尻王子
滝尻王子は、熊野九十九王子の中でも特に格式が高いとして崇敬されてきた「五体王子」のひとつで、熊野の霊域の入り口とされたとても重要な場所でした。 

<乳岩と胎内くぐり>
    
 特急「くろしお」で帰路へ
 
乳岩と胎内くぐり
 胎内くぐりは、母体に入り、生まれかわってくる。汚れを落とすといわれ、熊野詣の人々はこの岩場をくぐり抜けたそうです。とても狭く、無理かと思いましたが、無事くぐり抜けました。
 乳岩は、奥州の豪族藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た時滝尻で出産しましたが、赤子を連れては熊野詣はできないと思いましたが、その夜、夢枕に立った熊野権現のお告げにより滝尻の裏山にある乳岩という岩屋に赤子を残して秀衡夫妻は旅を続けました。子は山の狼に守られ、岩から滴り落ちる乳を飲んで、両親が帰ってくるまで無事に育っていた、という伝説があります。

(2000,5,6撮影)
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