蓑虫庵
蓑虫庵は、1688年に芭蕉の門人である服部土芳が建てたもので、服部土芳の住居でした。松尾芭蕉の故郷、伊賀上野には「芭蕉五庵」(無名庵・蓑虫庵・東麓庵・西麓庵・瓢竹庵)と呼ばれる芭蕉にゆかりの5ヶ所の草庵がありましたが唯一現存するのが蓑虫庵です。もっとも原形に近く保存された江戸時代の典型的な庵です。
蓑虫庵 |
服部土芳は蓑虫庵で芭蕉の俳論を体系化した「三冊子」(さんぞうし)を執筆しています。 |
正門 | ||
庭から見た元の正門 | 外から見た元の正門 |
蓑虫庵は土芳を中心に伊賀の芭蕉の門人たちが俳句の席を設けた場所で、芭蕉も帰省の折には度々ここを訪れました。 |
左が通用門、右が正門 |
中門 | 蓑虫塚 |
庵を開いて1週間後に「笈の小文」の旅で伊賀上野に帰郷していた芭蕉がここを訪れ、庵開きの祝いに「蓑虫の音を聞きに来(こ)よ草の庵(いお)」の句を贈ったことから、蓑虫庵と呼ばれるようになりました。 |
古池塚 | 若菜塚 |
庭には、芭蕉の「古池や蛙飛びこび込む水の音」の句碑「古池塚」や服部土芳の「卒度(そつど)往(ゆき)てわかな摘ばや鶴の傍」の句碑「若菜塚」などがあります。 |
芭蕉堂 |
芭蕉堂内には、芭蕉翁像と服部土芳の位牌を祀っています。 |
茶室 |
愛宕神社は、天正伊賀の乱で灰燼と帰した社殿を修験者小天狗清蔵の勧進により再興されました。本堂には、1616年大檀那藤堂高虎の棟札があり、同年の造営と考えられています。火の神、火産霊神を始め生活に欠かせない神々をお祀りしています。 |
全体に極彩色を施され、彫刻も見事で華やかな装飾です。 |
愛宕神社の横に忍者神社がありました。修験者小天狗清蔵坊による愛宕神社の再興から約400年が経過し、伊賀市が伊賀流忍者発祥の地として平成29年2月22日「忍者の日」に「忍者市」宣言を行いました。そして、修験者小天狗清蔵坊と忍の先人雉子の御霊を祀って「忍之社」が創建されました。 |
扁額には、「阿多古 忍之社」と書かれていました。 |