伊雑宮

  伊雑宮は、倭姫命(やまとひめのみこと)が志摩の国を巡ったとき、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)に命じて造営され、皇大御神の魂を祀ったと伝えられています。
伊雑宮は、皇大神宮(内宮)の別宮です。伊勢神宮は、内宮と外宮だけでなく正式名称は神宮で、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)の両正宮を中心として、14社の別宮、109社の摂社・末社・所管社あわせて125社の総称です。 
    
伊雑宮は、10社ある内宮別宮の中で、荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ順位とされています。祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらします すめおおみかみのみたま)です。  
    
勾玉池 
 
正殿   
正殿の造りは内宮に準じ、千木が内削ぎで鰹木が六つの神明造です。
    
 
伊雑宮社殿東側に古殿地がありました。2034年にこちらに移動します。  
神宮では、20年に1度、殿舎や御装束神宝を新たにして大御神(おおみかみ)にお遷りを願う式年遷宮が行われます。2014年に式年遷宮が行われました。  
    

<伊雑宮の御料田>

御料田は、毎年6月24日に行われる伊勢神宮に奉納するお米の田植えが行われる場所です。日本三大御田植祭の一つで、重要無形民俗文化財の磯部の御神田(おみた)「伊雑宮御田植祭」が行われます。 
    
 
神田は、かなりの面積があります。田んぼの前に鳥居が建っていて神の田である事を感じとれます。「御田植祭」の舞台となる場所で、住吉大社・香取神宮と並ぶ「日本三大御田植祭」の一つに数えられています。 
    
 
中央に一本の棒が立てられています。ここに、大団扇が掲げられます。


<倭姫命の旧跡地>

倭姫命(やまとひめのみこと)は、叔母の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の跡を継いで、奈良県の三輪山の南にある「磯城瑞籬宮(当時の皇居)」を出た神体(ヤタノカガミ)の安置場所をさがし歩いた皇女で、伊勢神宮を創建した初代斎宮とも言われています。 
    
 
賽銭箱の向こうにある平たい石が「天井石」、その向こうにある樹の根元は「鏡楠」です。大正末期、この大楠が切り倒されました。根元を掘ったところ、縦4m、横3m50cmの天井石が現れ、その下から鏡や勾玉などが出てきました。
    
御師の家 
 
庚申堂と秋葉堂  千田の御池 
イザナギノミコトとイザナミノミコト、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が祀られています。伊佐波登美神は倭姫命に命じられて伊雑宮を造営しました。千田の御池は、倭姫命が引水し神饌の種苗を育てたといいます。 

<風呂屋の谷>

風呂屋の谷は、伊雑宮へ参拝する前に、清らかな水が湧き出るここで身を清めた場所だと伝えられています。 
    
 


<上之郷の石神>

上之郷の石神は、この地方の三大石神の1つです。鬱蒼とした林の中を鳥居を抜けて少し歩くと、少し開けた空間があり、しめ縄がかけられた大きな石が鎮座してしました。周りはひっそりとしていて、神聖な感じを受けました。
    
 

(2022.3.9撮影)
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